生と死をめぐる対話。A dialogue about life and death.

 以前私は『死を生きた人びと』(小堀鷗一郎著・みすず書房刊)を紹介する記事の中で、以下のように予告していました。
【小堀さんの新刊『死を受け入れること---生と死をめぐる対話----』(小堀鷗一郎著/養老孟司著・祥伝社刊)も読んでみようと思っています(養老さんとの対談ですから興味津々)。読後には、また記事を書きます。】
 本日、ついさっき『死を受け入れること---生と死をめぐる対話----』を読了したので、感想を記事にしたいと思います。小堀先生(1938年生)は外科医で養老先生(1937年生)は解剖学者で、ともに東大医学部卒。この二人の先生が「生と死をめぐる対話」を繰り広げます。
 どちらの著書も読んでいる私としては、二人の先生の対談が、それぞれを刺激し、普段は生まれないような思索(または潜在的な思索を顕在化させるような)、もうワンランク上の知見を得ることを読者として期待していました。そういうことなので、正直なところ「少し物足りなかったかな」という印象です(生意気ですみません)。でも二人の先生の著書にあまり馴染みがないという読者には(そんな人いる?)、入門編としては最適だと思います。これを読んでから、小堀先生や養老先生の著書を読んでいくのも、生と死について理解を深める方法の一つだと思います。
 さて本書です。この本は、以下の四つの章にわかれています。
第一章 「死ぬ」とはどういうことですか?
第二章 解剖学者と外科医はどんな仕事ですか?
第三章 「東大医学部」ってどんなところでしたか?
第四章 これからの日本はどうなりますか?
 第一章(24頁)小堀先生は「人は、その人の生き方で死んでいく。」と述べています。考えさせられた一文です。そういえば、実父は死ぬまで煙草を離さないヘビースモーカーで、気管支を壊して(肺癌で)亡くなりました。義理の父は無縁仏として亡くなりました。私は一体どのようにして亡くなるのだろう。
 第一章(27頁)小堀先生は「生かす医療」と「死なせる医療」というキーワードを提示しています。自分のこととしても「死なせる」方へのシフトが難しいことはわかります。だから今から覚悟すべきことなのでしょう。
 第一章(31頁)養老先生は『リスボンに誘われて』(レジスタンスの医者が瀕死の秘密警察のボスを治療して仲間から白い目で見られるというストーリー)という映画を紹介しながら「医療は、そういう善悪で語れることではないですね。」と指摘します。生死と医療と善悪が絡み合っているということでしょうか。機会があれば『リスボンに誘われて』を観たいと思います。
 第一章(41頁)養老先生は、病院でダメだった(亡くなった)なら家族が手を尽くしたと思える(言い訳ができる)けれど、「自分で看る、自宅で看護するというのは(中略)相当の覚悟がいるんじゃないでしょうか。」と世間体も含めた、わが国の在宅死の難しさを語ります。私の父の母(祖母)は在宅死でした。それは昭和40年代の地方都市なら当たり前だったのかもしれません。目の前で人が亡くなるというのは、子供心にも荘厳な気持ちになりました。ちなみに父も在宅死でした(平成10年のことです。朝起きたら亡くなっていました。苦しい顔ではなかったです。誰も死に目には会えていませんが)。私自身は病院か自宅か? 自宅は賃貸だから(迷惑かけるから)病院か? 世間体も含めて、ものすごく難しい問題です。
 第一章(51頁)養老先生は「死は常に二人称で存在するんです。」と述べていますが、この言葉は、養老先生の著書では頻出ワードです。自分の死は(一人称なので)見ることができないので、存在しないのと同じ。三人称の死は無関係な人の死。だから「死が自分に影響を与えるのは二人称の死だけです。」となります。最初、養老先生の別の本でこの言葉に出会ったときは目から鱗が落ちました。なるほど本当にそうだ。私に影響を与えた死は、すべて二人称ばかりでした。
 第一章(57頁)養老先生は「自分の死に方なんてコントロールできません。人はいつか死ぬ。死亡率一〇〇%。」と言っています。そして「だから安心できるんです。」と続けていますが、私は、それでもまだ安心できません。まだ腑に落ちていません。安心するとはどういう意味なんでしょうか?
 第一章(58頁)養老先生は「死を自分の問題と錯覚している人が多いのですが、本人には問題ではありません。だって死んでしまうんだから。」と発言していますが、これは前言(57頁)の言い換えであり「死は常に二人称で存在するんです。」のダメ押しみたいです。目から鱗が落ちたのに、まだ私は錯覚している、ということなのでしょうか。
 第二章と第三章も大変面白くて勉強になりました(特に、第三章は山崎豊子さんの『白い巨塔』を彷彿とさせる箇所もあります)。しかし、この本のタイトルである『死を受け入れること』からは、個人的には、若干離れたような気がするので、この記事ではあえて取り上げません(悪しからず、ご了承ください)。
 第四章(150-151頁)小堀先生は「僕がやっていることは、二十世紀初頭の、慰める医療が中心だったパリとあまり変わらないんです。」として、介護現場で起こる家庭内暴力(介護する側から、される側への暴力)への対応を語っています。介護する人の(精神的・肉体的な限界を見極め)負担軽減のために、介護される人を施設に一時的に入れて、落ち着いたら自宅に戻すという対処だそうです。私個人としては、まだそこまでの現実に直面していませんが、他人事とは思えないくらい身近に迫っているような気がします。
 第四章(156頁)小堀先生は「命を終えるための医療は世の中からは受け入れられていないと感じる出来事がありました。」として、ある依頼原稿のタイトルの修正を例にして語っています。もともとは「生かす医療から死なせる医療へ」というタイトルでした。すると知り合いの看護師から「死なせるというのはダメです」と指摘されます。それならばと「命を永らえる医療から命を終えるための医療へ」と修正します。すると今度は、原稿を依頼した編集部から「タイトルを修正してほしい」と言われたそうです。関連して(156頁)小堀先生は「講演会のタイトルを『あなたはどこで死にたいですか?』にしました。すると、このタイトルは、ちょと、という。」を紹介して、こういう反応が日本の一般社会の産物だ、と憂います。事前に誰からも批判されないように自己規制するがゆえに、本質を見失いかねないという一つの事例だ、ともいえます。過剰な表現の自己規制は、他のジャンルでもよくありそうなことだと思いませんか。
 第四章(161頁)小堀先生が(「長生きの秘訣」というテーマで対談すると)落ちこぼれ(わりとのんきにしていた)グループと優秀なグループを比較して「優秀な人たちのほうが生き残り率が高いような気がするんです。」と言うと、(162頁)養老先生は「寿命はよくわからない。(中略)一般論がないから、やっぱり運なんじゃないですか」と答えています。ここら辺の掛け合いは、対談らしくて、お互いの個性が窺えて面白いですね。
 第四章(169頁)小堀先生は「私が見ているほとんどの高齢者は、お金がない、健康にも恵まれない、社会の支援もないという人たちで(中略)でも、恵まれない人でもその人らしい豊かな老後になるのは間違いないんです。そういう例もたくさん見ています。」という言葉に(自分の近未来のこととして)救われる気がしますし、無縁仏として亡くなった義理の父も、豊かな老後であったことを祈ります。
 第四章(176-180頁)では新型コロナウイルスについての両先生の見解も示されています(養老先生の書いた「はじめに」によれば、この対談は「コロナ騒動の前に行われた。」そうです)。ポイントは「病との共存」です。これに関連して(181頁)小堀先生は「死を怖れず、死にあこがれず」と言っています。このワードは小堀先生の別の著書にも出てきます。恐れず、あこがれずに、死を受け入れる覚悟、というか準備を、今から始めようか、どうしようか。
 「あとがき」(181頁)で小堀先生は「(究極の弱者である)死者の目線」という、新しい視座を私に与えてくれました。この目線から、もう一度、本書を読み直す必要がありそうです。

 第一章の前(10頁)に祥伝社の担当編集者の声(?)として「この本を読めば、安心して死ねるようになります。」と記されています。そういうつもりで読みましたが、読後感では「そうでもないな」というのが正直な感想です。私としては「安心して死ねる」かどうかは“読者による”としか言えません。たとえば、80歳が病室で読むのと、16歳が教室で読むのとでは、ずいぶん異なるはずです。鬱病気味の57歳(無職)が自室で読んだら「まだ安心して死ねない」という感想になりました。そもそも、養老先生が指摘するように「生死はもともと具体的なもので、結論はそれぞれというしかない。ケース・バイ・ケースである。」(「はじめに」(4頁))ということなのですから。

追伸

 この本には、養老先生の「はじめに」と小堀先生の「おわりに」があります。それがまた個性的で面白いです。さらに両先生を個別にインタビューした頁もあります。両先生のファンには堪らない(?)写真もいくつか掲載されています。「死を受け入れる」きっかけになりそうな一冊です。

 第二章(87頁)と第三章(142頁)で養老先生は、ほぼ同じことを語っています(文面もほぼ同じ)。それはまるで、コピーアンドペーストでもしたかのようです。それほど養老先生にとっては、繰り返し語るに足る、重要な言葉かもしれません。要旨は以下のようなものです(ちなみに生死には関係ありません)。
「仕事もそうです。仕事は嫌だと思ってやっていたらどうしようもない。解剖でしみじみ思ったのは、死体の引き取りなんて面倒くさいけれど、それなりに楽しみがあるということ。解剖からはいろいろ学びましたが、全て記憶に残っています。『それがどうした?』と聞かれるとオチはないのですが、ただいろいろだなという。それを多様性という言葉にすると一つになってしまうんですけど。」
 これは養老先生の仕事観です。「仕事は嫌だと思わず、それなりの楽しみを見つけることで、学ぶことがある」というのが私の理解です。これは今現在無職で、仕事を探している私にとって、とても意味がある言葉です。今仕事をしていて、仕事で悩む人にとっても、意味のある言葉かもしれません。


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