雨の中の墓参り。Visiting a grave in the rain.

 豪雨の中、一人で義父の墓参りに行きました。特に今日という日に意味があるわけではありません。最近ご無沙汰をしていたから、というのが理由かもしれません。義父は(訳あって)無縁仏の皆さんとともに眠っています。いつものように線香と蝋燭を用意していましたが、傘を差すのが精一杯の状況でしたから、今回は灯しませんでした(カフェオレをお供えしました)。じっと傘を差しながらお参りをしていると心が落ち着きます。海の底に沈んでいくような静かな気持ちになります。そして、圧倒的な肯定感に包まれます。生きるということの意味を、義父をはじめとする無縁仏の皆さんから教えられます。最初に墓参したときは(きれいごとではない)生きる痛みや嗚咽が聞こえました。でも何度も墓参を続けるうちに、それでも生きて亡くなった義父の魂が、手に取れるような気がしてきました。何度も墓参するうちに、この世は確かにロクでもないけれど、それでも生きるに値するということが実感できます。墓場で生を実感する、というのはおかしなものですが、それだけ私が墓穴に近づいているからかもしれません。

追伸

 豪雨の中の墓参りという酔狂は私だけかと思ったら、似たような背格好の似たような中年の男の人が、(たぶん)自分の家の墓石の前で頭を垂れていました。彼には彼の祈りがあるのでしょう。私に私の祈りがあるように。人の墓参を見るのも趣があります。

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