受発注のバランス感覚(とある大企業の禁忌目録#17)

大企業は人材が多いと思われがちだが、調整が得意なジェネラリストがそろっているだけなので、クリエイティブな作業や技術的な作業は外部の会社にアウトソースすることが非常に多い。もちろん、長期的に仕事が確定していて、内部でクリエイターを雇用するほうが都合の良い場合はこの限りではないが、基本的には外部委託は避けて通れない。

委託においては、最終的な成果物を定義することが基本となる。例えば、絵を描く作業を委託するのであれば、
・何を描くのか
・何枚描くのか
・何のフォーマットで描くのか
・何円で描くのか
・何日で描くのか
などを両者で合意する。外部委託を受ける協力会社は、大企業から依頼されたことを認められればお金がもらえるのだが、そこにひと悶着ある。なぜなら、「やったと認める」かどうかは、主観に基づく判断になりやすく、発注側・受注側の双方が自分に有利な解釈をしてしまうからだ。

発注側の大企業からすれば、業務は中途半端な品質で納品されると困る。したがって、何度もやり直しさせたり、プロ意識を持ってほしいみたいな精神論に訴えかけたりする。一方、受注側の協力会社は最も少ないコストで簡単に片づけたものにOKが出れば、利益率が上がるので、クリアレベルの作業をいかに少ない人員でやるかを目指す。
でも、あまりに品質の低いものを納品していると、競合他社に仕事を取られることになってしまう。そういうわけで、人件費の安い海外スタッフで遂行するなど、品質をぎりぎり担保できる構成にし、炎上したときのみにベテランを投入するなどの手法が用いられる。

「それぞれが利益を最大化する方向で揉める」。これって、あんまり幸せな関係じゃない気がする。お互いがどの程度の品質で取引をしていくか、その「バランス感覚」で仕事を保っている。「タスクAでは品質を妥協してもらう。代わりに、別件のタスクBでサービスします」なんて、契約書には書かれていない約束事で仕事は進む。何年も同じプロジェクトで対応していると、お互いに受発注のバランス感覚がわかってくる。

簡単に社員を解雇できない日本では、大企業が内部に専門スタッフを雇用するのはハードルが高い。外部委託の協力会社は大企業の専門性の調整役として日本独自の進化をしてきたと思う。日本では中小のシステム請負会社が発達しているため、大企業社内の情報システム部門が肝心の技術を全く理解していないことが起こる。欧米では逆に、システム請負会社が存在せず、技術革新があっても雇用の流動性を生かして、必要な人材に交換できるので、自社内で情報システムは完結するらしい。

将来、このまま終身雇用が完全に崩壊して自由に職業を選択することができるようになるとともに、解雇も自由にできるようになってそれぞれの専門性を別の領域で発揮できるようになる社会になればいいと思う。でも、日本がそうなるには、やはり1世紀くらいかかっちゃいそう。

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