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校舎が必要ない時代は来るか?

北日本新聞紙面にて、氷見市久目小学校が近隣小中学校との統合により、校舎が空き舎となった記事を見つけました。

少なからずの人が母校を無くした経験があるでしょうし、これからさらに統廃合による母校消滅は増えるはず。

こういう話題に触れるたび、「そもそも学ぶための校舎って必要なのだろうか?」という疑問が湧いてきます。

学生のうちは、同い年、同じ世代の人たちと同じ教育を受けるわけですが、その基本コンセプトのために必要な場所が校舎です。言わば、社会と断絶された空間であり、隔離された神聖な領域です。

子ども達を、事故や事件から守るための安全なシェルターとしての役割もあるでしょうが、今や学校が安全である保障はありません。

子どもの数が減り、過疎地では1学年を維持できない今の時代、「専用校舎は持たない」という方向での議論も必要なのではないかと思います。

誤解を恐れずに言っていまうと、学校とは、親が子どもの教育ができない代わりに、子どもを学校に預けて、公共セクターに教育してもらうというシステムだと理解してます。先生は、子ども達よりもあらゆる事に優れた人物であることが前提です。

しかし、今はどうでしょう。社会の多様性や情報量、体験機会が増えたことで、人生観や働き方モデルが変化し続けています。ある事、ある分野において、すでに先生よりも優れた知識と感性をもっている生徒が沢山います。

私自身、学校が嫌いだったので、学校での良い思い出は少なく、先生から大きな影響を受けたことも記憶にありません。私の先生は、親であり、姉であり、近所の大人であり、海や裏山での遊びでした。大学まで行けたのは、学習塾や予備校のお陰だと思います。

社会が変わっているのに、学校も校舎のあり方も見直していかないといけないと感じます。

そこに、さらにコロナがやってきました。コロナ禍における学校現場のニュースにて、席を疎らに、生徒同士の距離を確保して、換気を良くして授業をしている様子が映し出されてます。

その映像を観ていて、「田舎の学校はもともとそんな授業風景ではないのか」と思ってみたりします。私は、ある程度の人数がいないと学年を、学校を維持できないという発想を捨てたほうが良いんじゃないかと思います。

校舎を学舎としてのみ利用しようとするから、人数が少ないことが問題だと思うのではないでしょうか。1つの施設に、生徒が授業をしていて、仕事をする人もいて、スポーツを楽しむ人もいて、キャンプを楽しむ人もいる、そういった多目的な場所であれば、生徒が少ないのは逆に、子どもにとっての体験、学びの質と量が増えるチャンスだと思います。

存在自体に価値のある校舎


日本のような先進国において、単に場所が必要だからと建築してしまう、機能重視の校舎は必要ないと思いますが、学ぶ価値のある校舎を残す、つくる必要はあると思います。

武道家、文学者であり、神戸女学院大学の名誉教授を務める、内田樹さんの著書に「神戸女学院大学の校舎はその建築のなかで学ぶことに意味がある」といった趣旨のことが書かれていました。神戸女学院大学の校舎は明治8年創立の立派な西洋建築です。

ここで大学の校舎を例に挙げるのは不適切かもしれませんが、どんな環境、空間、建築で学ぶかによって、子ども達のその後の人生に大きく影響すると思います。

近代的で、単調で、ポップで、カラフルな空間で学ぶ子ども達が、想像力豊かで、人に優しい、考える力を持っている大人になるとは考えられません。あくまでも私の個人的な考えですが。

校舎の再利用のカギ

校舎の再利用として有名なプロジェクトが、<アーツ千代田331>です。ここは、旧千代田区立練成中学校を改修して誕生したアートセンターです。

2013年、まちづくりのイベントで講師としてお話をしたのがキッカケでここを知り、それ以来何度か利用したいことがあります。

ここを手がけた方々の話を聞くと、普通では成し遂げられなかったのではないかと思うくらい、大変なご苦労があったようです。(ネット情報では、千代田区マターの動きにより事業化、公募で選ばれた人たちが運営している、のように見える)

正直、素敵なデザインの校舎は、そう多くありません。先ほどの「学ぶ価値のある校舎」として建築的な魅力のある校舎の話をしましたが、今、校舎の再利用で議論されている多くの校舎は、旧千代田区立練成中学校も同様、全国どこにでもあるような平凡な造りをしています。

きっとどこかに、校舎とはこんな建築だ、というモデルがあって、それに倣って設計されたかのようです。これは機能上、仕方のないことです。

その他、地元との交流を特徴としたゲストハウスとしての用途など、校舎の再利用プロジェクトは、そこで学んだ人たちを巻き込み、コミュニティ醸成型で構想されている例が多いようです。

それは、学校が毎年卒業生を送りだして、縦軸、横軸の人のつながりを形成してきたからこそ出来る、特別なコンセプトメイクです。つまり、「校舎は帰属意識とつながりを感じる特別な場所」であると言えます。

また、校舎を再利用しても大丈夫か?という心配もあります。

しかし、公共建築である校舎はもともと丈夫に造られています。耐震指標であるIS値がどうこう、という話をすると地盤や諸条件によって何とも言えないと思いますが、民間事業で使う建物よりも丈夫であることは間違いありません。

老朽化で使えないとされる校舎であっても、民間事業者の責任において使うのであれば、十分なレベルかと思います。

ちなみにIS値は、大地震が来ても大丈夫かどうかという判断には使えますが、築30年以上の建築に対しては、もはや占いのレベルだと思います。

具体的な用途は、それこそ、主体性のある人たちみんなで考えればよくて、答えのあるものではありません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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