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元気?幸せ?

友人のミキちゃんから来たラインの返事をまだしてないことに気づき、返す。
ラインは、子どものクラスがオンライン授業になって大変など近況を伝えた最後に「バジルちゃんは元気?」で終わっていた。近況を教えてくれたのは、先に私がラインで「ミキちゃん元気にしてる?」と聞いたからで、それに対しての返信、プラス同じことを聞かれた、という流れ。

普通に「元気だよ」と返せばいいところを、今日は返せなかった。
「うーん、どうなんだろ(^_^;)」
と送った後
「表面上は元気だけど中身はズタズター!」と、何かあったのか、聞かなきゃまずいかと思わせるような、非常に面倒くさいラインを送ってしまった。
「元気だよー」と送るには無理があるような状態で、といっても熱がある訳でも、身体がしんどい訳でもない。特別辛い何かがあった訳ではなくて、むしろ常につきまとう「辛さ」に気付かされたから。相手がママ友なら軽く返せた「元気だよ」が彼女には返せなかった。
普段は忘れているそれは、ある時やってくる。普段は忘れようとしているだけで、よく考えたら私は心身ともに元気な日など、本当は全くないのかもしれない。

ここまで考えると、父の姿が思い浮かぶ。
父は、週5は不機嫌で声をほぼ発しない人であったが、機嫌がよいとき、夕食の席で自問することがあった。それは「俺は幸せなのだろうか」と。天井を見ながら明らかに子どもや妻である私の母に聞こえるような声で言い、それから「うん、幸せなんだろうな、仕事もあって家もあって家族もいる、そうか、俺は幸せなのか」と呟くように自答するのだが、そこに幸せそうな笑みはなく、とにかく自分は幸せなんだと、納得しようとしている姿だった。
多分、父は幸せではなかったのだ。仕事があり、家族を得ても、満たされることはなかった。本当に幸せを感じている人間は、いちいち自問自答などしない、それも、わざわざ人前でアピールするかのように。

2年前の年末にタコを揚げた。子ども2人を連れて、日は高くとも寒い日だった。揚げて遊んで「楽しいね、ママはね、2人がいてすごく幸せなんだ」といってみた。意味はよくわかってないようだったけど、私が笑っていたからか、2人ともニコニコしていた。

私は子どもの前で「私は幸せなんだろうか」と自問するのでなく「幸せだよ」と言ってあげる親になりたかった。幸せの定義や意味なんて、私自身、理解してなくていい、ただ「幸せ、あなたがいるから幸せ」そう伝えればいいのだ。

「元気?」の話からずれちゃった。凧揚げに続く幸せ話は、2年前の年明けに記事にするつもりが、今思い出した。なんでだろう。
ミキちゃんに送ったラインは既読のままだ。ごめんねっ、また、連絡します!


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