倉本寿彦

石井に憧れた男 倉本寿彦

5 倉本寿彦とは?

横浜高等学校では2年時からレギュラーに定着。3年時に同学年の土屋健二、1学年後輩の筒香嘉智と共に出場した第90回全国高等学校野球選手権全国大会では、準決勝に進出しました。創価大学では、東京新大学野球のリーグ戦で、3年秋と4年春にベストナインを獲得。同学年のチームメイトに小川泰弘がいました。大学4年時にプロ志望届を提出しましたが、小川が2012年のNPBドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから2巡目で指名されたのに対して、自身はどの球団からも指名されなかったため、大学卒業後は日本新薬へ入社しました。日本新薬では1年目から遊撃手のレギュラーとして活躍、元南海の門田氏の指導で長打力も付いて14年のドラフト3位でベイスターズに指名されました。石井琢朗に憧れていた男倉本は石井が付けていた背番号5で遊撃手として入団しました。15年開幕一軍入りを果たすと、3月27日に読売ジャイアンツ(巨人)との開幕戦(東京ドーム)で「7番・遊撃手」としてスタメンで一軍公式戦にデビュー。DeNAの新人選手が、遊撃手として一軍の開幕戦にスタメンで起用された事例は、大洋ホエールズ時代の1971年の野口善男以来44年振りでした。5回表の第2打席で、菅野智之からプロ初安打を打ちます。前半戦ではスタメンでの起用が続きましたが、打撃不振や失策の増加などから、シーズンを通して一軍と二軍を2回往復します。16年には一軍の開幕戦から「6番・遊撃手」としてスタメンに定着。5月12日の対中日ドラゴンズ戦では、同点で迎えた10回裏無死満塁の打席で、プロ入り後初めてのサヨナラ安打。7月29日にマツダスタジアムで催された対広島戦では、プロ入り後初めて1試合5安打を記録しました。打撃面では、9月19日の対広島東洋カープ戦(いずれも横浜スタジアム)まで打率3割をキープ。結局、レギュラーシーズンを打率3割で終えられなかったものの、セントラル・リーグ(セ・リーグ)の規定打席に到達します。シーズンを通じて正遊撃手に定着し、6番打者として82試合、7番打者として36試合、5番打者として14試合に出場した。守備面では、失策数を6にとどめ、遊撃手としてはリーグ2位の守備率.989を記録し、球団史上初となるクライマックスシリーズ(CS)進出に貢献しました。17年には、4月14日の対ヤクルト戦(横浜)で初めて9番打者に起用され、5月4日の対巨人戦(東京ドーム)を境に9番へ定着しました。打線の8番に投手を組み込む監督のアレックス・ラミレスの方針によるもので、打撃が復調しても、NPB全12球団で規定打席を満たしている野手ではただ1人9番打者への起用を継続されました。前述の巨人戦以降に9番以外の打順で出場した試合は、6番で起用された6月14日の対ロッテ戦(横浜)だけでした。8月16日の対中日戦(横浜)では、2-2の同点で迎えた9回裏1死1塁の打席で、前年に続く自身2度目のサヨナラ安打を記録します。9月12日の対広島戦(マツダ)2回表の打席では2点適時打を放ち、プロ入り後自己最多のシーズン44打点を達成する[8]と、最終的には50打点にまで伸ばした。レギュラーシーズンで一軍公式戦全143試合フルイニング出場を初めて果たすなど、正遊撃手としてチームの2年連続クライマックスシリーズ進出に貢献しました。得点圏打率でリーグ2位の .342を記録し、通算3度のサヨナラ打を放つなど勝負強いバッティングを見せました。ただし、打率(.262)が前年の.294から大幅に低下し、102三振を記録。守備面では、失策数(14)が前年から倍増したほか、守備率も.979にまで低下した。チームのCS突破を経て臨んだ福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、1点リードで迎えた第2戦7回裏1死1塁の場面で今宮健太が放ったゴロを捌いた二塁手・柴田竜拓からの送球を落球します。このプレーで併殺を完成させられず、チームはソフトバンクに逆転負けを喫しまし。しかし、第3戦では3安打を放ち、遊撃の守備でも好プレーを見せました。チームは第6戦での延長11回サヨナラ負けで日本一を逃したが、倉本自身は全6試合に出場、打率.333。最終的にレギュラーシーズン、クライマックスシリーズ、日本シリーズの156試合全てにフルイニング出場を果たし、不動のレギュラーかつチームの看板選手としての地位を確立しました。しかしこの日本シリーズ辺りから倉本選手の守備範囲が狭いとSNSでファンから叩かれます。ベイスターズファンが好きな正面のゴロは怖いから目を瞑って逃げながら捕ることができていないということに対する不満が広がります。ゴロに対して正面に回り後逸しないようにするプレーにファンは批判的でした。守備範囲の狭さは高田GMからも指摘されます。18年にはFAで遊撃手に大和が入り、守備範囲が広い大和にファンの注目が広がりSNSで倉本のエラー集が出るなど倉本は精神面でも追い詰められます。二塁手としてプレーすることが多かったのですがファンにより気持ちを不安定な状態にさせられ攻守に劣化します。19年になるともう一度遊撃手で勝負したいと訴えトライしますが出場試合もわずかに24試合で留まります。

SNSに殺された男

倉本は守備範囲が狭いながらも強肩で自分のエリアでは確実に仕留めることができる選手でした。まして3割近い打率を残せる遊撃手は少なく貴重な存在でした。しかしSNSの世界にだけ存在しスタジアムには一切足を向けない非常なファンにより石井琢朗のイメージから遠いと倉本は抹殺されます。荒れた倉本の気持ちが収まれば打撃面で期待できる貴重な遊撃手だけに期待できるので抹殺されるべきは意味のないSNSで倉本を批判し続ける自称ファンの人たちだと思っています。

波乗りジョニー

倉本の第一打席は桑田佳祐さんの「波乗りジョニー」です。同じ茅ケ崎出身ということで使用していますが、この曲で打席に入る倉本のオーラはすごいです。この雰囲気でチームを盛り立てて欲しいです。

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