アンダースロー投手

交流戦勝ち越し

2021年6月13日ベイスターズは日本ハムに4-1で勝ち、交流戦9勝6敗3分で勝ち越しました。今永が7回1失点と好投でした。先発投手が7回投げてくれると助かりますね。

ベイスターズにはアンダースロー投手がいない

ベイスターズは1998年に在籍した足利投手以来23年間アンダースロー投手がいません。1960年代から日本ではアンダースロー投手が増えています。1960年代の大洋には秋山登投手、佐々木宏一郎投手、山下律夫投手、1970年代に入ると坂井勝二投手、渡辺秀武投手、田村政雄投手、田中由郎投手、1990年代には高田博久投手、足利豊投手が在籍して現在に至ります。伝説のエース秋山投手がアンダースローだっただけに1970年代までは積極的にアンダースロー投手を獲得しています。特に中大からドラフト1位で獲得した田村投手は中大の名将宮井監督が「自分が関わった投手の中で最高の逸材」という投手だったようです。ロッテからトレードで獲得した田中投手もアンダースローから140km/h近い速球を投げる誰が見ても惚れ惚れする素材だったそうです。その2人が活躍できなかったことも大洋にとってはアンダースローから決別するきっかけになったかもしれません。

日本におけるアンダースローの元祖は大隈重信

に1908年11月22日に行われたメジャーリーグベースボール選抜チーム対早稲田大学野球部の試合で始球式を行った大隈重信の投球はアンダースローででした。NPBにおいて最初に活躍したアンダースロー投手は1936年に阪急軍に入団した重松通雄です。重松と1949年に南海ホークスに入団した武末悉昌には共に「アンダースローの元祖」という渾名が付いています。その後1960年代には南海の杉浦忠、大洋ホエールズの秋山登といった名手が登場します。920年にカール・メイズが死球による死亡事故を起こすと、アメリカ合衆国ではアンダースローは危険な投法であるという認識が広がり、アンダースロー投手は減少していきました。スピードガンが野球界に導入され始めると、投手の投球術よりも球速が注目されるようになり、球速の出にくいアンダースロー投法を採用する投手の減少傾向がより進みました。

アンダースローと故障

アンダースローは全身を使わないと投げられないため、肩や肘に疲労が集中しないそうです。しかし、股関節や膝関節をうまく使うことが出来ず、胴体のみを極端に屈曲させるフォームになってしまうと、前鋸筋筋膜炎を起こしたり、ひどい場合には肋骨にひびが入ったり疲労骨折することもあるそうです。現在NPBではソフトバンクの高橋礼や楽天の牧田、阪神の青柳などがアンダースローで活躍しています。希少価値があるだけにアンダースロー投手についてはベイスターズでも獲得を検討して欲しいところです。

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