下剋上ヘッドコーチ 青山道雄

壊れた信号機 青山道雄とは?

静岡県の東海大工から東海大に進みロッテドラフト1位の井辺らと共に東海大で5度優勝という偉業を達成しています。一期上が原監督たちです。社会人プリンスホテルに進み83年ドラフト3位で西武に入団します。野球エリートとして広岡管理野球で活躍するかと思われましたが層の厚い西武では出番がなく、秋元らと共に大洋に移籍します。大洋ではキャリアハイの62試合出場しますが3年在籍して引退。その後はコーチとしてのキャリアを積みます。三塁コーチャーを務めることが多く、積極的な走塁から何度かホームタッチアウトといことがあり、消極的でわざと負ける野球を好む一部のベイスターズファンからは「壊れた信号機」というあだ名を付けられていました。96,7年は優勝に燃える鈴木尚ら若手の外野守備練習を試合終了後、夜の1,2時まで付き合い98年の優勝に備える熱血コーチでした。権藤監督から森監督に代わったときには西武時代一緒だった青山コーチに対して森監督が「何で選手に考えさせるんだ。選手は監督の指示通り動く駒で、選手がグラウンドで考えたら管理野球が崩壊する。」と選手主体だった権藤監督時代からの考え方チェンジを選手に伝える役割を担わされました。選手とコーチの調整役としてチームのバランサーとして08年までベイスターズのコーチを務めた青山氏でしたが、09年からはロッテに移ります。最初はフロントの仕事をして10年のロッテ3位からCSから日本シリーズ出場、日本一の時には西村監督を支えるヘッドコーチとして活躍しました。生え抜きのコーチがほとんどいなかった当時のロッテのコーチ陣の考え方と西村監督の考え方をうまくマッチさせて選手との橋渡しをしての優勝でした。15年いっぱいでロッテを退団すると16年からベイスターズコーチとして復帰します。17年からは総合コーチ、18年からはヘッドコーチとして先進的な戦略を取るラミレス監督と選手との調整役として大活躍しています。

選手のコンディションを把握する

FOR REALなどを見た方はわかると思いますが、青山コーチは常に選手のコンディション把握に努め、選手と向き合い、その状況を監督に報告しながらチームの方向性を監督に決めてもらっています。ラミレス監督の意図などをきちんと選手に伝えるのも青山コーチの役目で、試合前、試合後は常にラミレス監督と打ち合わせをしています。そして選手に対しても効果的なタイミングで指示が出せるように準備しています。

根本陸夫の薫陶を受けた男

青山氏はプリンスホテルから西武という西武グループの野球の王道を歩んだ選手です。プリンスホテルでは西武の有名なGM的存在根本陸夫氏と仲が良かった石山健一助監督から指導を受け、根本氏からも選手としてダメだったとしてもコーチやスカウトといった人材になりうる存在として目を掛けられていました。青山氏が球団の編成業務に携わったのはロッテ時代ですが、根本氏や石山氏がスカウトは群れて選手をチェックしてはいけないという教えを守っていたそうです。最近、ベイスターズのスカウトが大挙してある選手を見ていたと聞いて青山氏は吉田スカウト部長に「スカウトがまとまって1人の選手を見るのは非効率ですよね。」と話したところ、吉田部長は「石山さんから巨人時代に口酸っぱく言われたよ。我々が集団で見る時はその線湯の評価はもう終わっているし、単なるミーティングでしかないよ。最近は素人の人も我々を見ているから情報操作にもなるし、うちのスカウトはみんな一匹狼だよ。」と答えていたそうです。吉田前スカウト部長も石山氏から根本氏のスカウティングを教わっていたようです。青山氏のような方はフロントとしても有能な人材と思われます。

今後もベイスターズも支えるのか?

青山コーチが仮にラミレス監督退団したとしてもコーチとして残るのか?ということに関しては、現在の青山コーチの負担がかなり大きく、一旦はフロントに入るなど別な役割で負担を減らすのではないかと思っています。青山コーチも60歳ですからもう少し楽な役回りをさせてあげたいという気持ちになります。


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