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第一次世界大戦後にドイツがハイパーインフレになった本当の理由

第一次世界大戦後、ドイツのハイパーインフレで大変なことになったことはよく知られていますね。
ドイツのハイパーインフレの原因は、戦争で大量の国債を発行し、通貨を増やし過ぎたことが根底にはありますが、実はそうなった原因はそれだけではありません。
ましてや一部のハイパーインフレ論者がいうような、一昔前のアベノミクスやリフレ政策のような国債のマネタイズの為でもないのです。。

もちろん原因は1つだけでなく、複数の理由があるわけですが、今回はその一つである、中央銀行の通貨発行権を外国に渡してしまった近代史上稀有な例を取り上げることにしましょう。

1922年5月、敗戦による混乱の中ドイツの中央銀行であるライヒスバンクはドイツ政府の手を離れ、通貨発行権は民間銀行が握ることになりました。
ここまではまあいいのですが、問題はライヒスバンク自体が民営化の上連合国により国際管理されることになり、評議員会の14名のうち、半数の7名は外国人(英国、フランス、イタリア、ベルギー、米国、オランダ、スイスから各1名)が任命されたことでした。

この結果、市中に流通する通貨の半分は、民間銀行が発行したものとなり、ドイツ政府のコントロールを離れたライスバンクは国際金融家の思いのままになってしまったのです。

この為猛烈な量の通貨が発行される訳ですが、それだけで済むわけがありません。
発行制限がなく、ドンドン通貨が発行されるのがわかっていた国際金融家が強烈なマルク空売りをかけたことで、マルクは外貨に対して大暴落したのです。
これにマッチポンプでタダでさえ酷かったハイパーインフレが一気に加速してしまいました。

だからこそ、ヒトラーが政権を握り、レンテン銀行が通貨発行権を掌握すると、呆気ないほど直ぐにインフレは収束することになった訳ですね。

従って、第一次世界大戦後のドイツのケースは、現代のリフレ政策と比べるのは的確ではなく、かなりイレギュラーなケースと言えるでしょう。

第一次大戦後のドイツのケースは、ドイツが物理的戦争だけでなく、国際金融戦争にも敗れた結果だというのが、歴史の教訓なのです。