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鞍馬天狗を破った絶対無敵の美人剣士

大山敬義 / バトンズCEO / ProPicker

最近は男が弱くなったせいか女性がバッタバッタと男をなぎ倒すスーパーヒロインものというべきジャンルが増えてきましたね。
男性的には嘆かわしいことですが、とは言え大部分がフィクションの世界のお話。
普通に戦えば元々子供を産み育てる女性と比べて、食糧調達の為戦闘用に特化した男性が勝つのが当然のことです。
とは言え、長い歴史の中には当然例外もあったりします。
その一人が、日本史上最強の武道家として名高い「園部秀雄」です。

鞍馬天狗 対 美人薙刀剣士

名前を聞いて、なんだ男じゃん、と思った貴方。もうこの時点で彼女の術中に嵌っています。
元々彼女の名前は日下たりた、という名前だったのですが、女性では誰も試合を受けてくれないため、秀雄という男性名を名乗ったのだとか。

さて歴史上稀な女性剣士の始まりは見せ物としての剣術から始まりました。
仙台藩の貧乏士族に生まれた彼女は、17歳の時佐竹鑑流斎一座という撃剣興業の一座に魅入られ、生活費を稼ぐ意味もあって女性の身ながら入門したのがそもそもの始まり。
撃剣興行というのは、実戦形式で次々と腕の覚えのある猛者と戦うという一種の見せ物で、要は日本版剣闘士みたいなものなのですが、女ながらに天賦の剣の才能を持っていた彼女は20歳で実戦にデビューするや並いる剣士たちをバッタバッタと斬り伏せ、連戦連勝。
しかもなかなかの美人だったこともあって、うら若き美人剣士が大の大人を次々と破るという萌えるシチュエーションが人気が出ないわけがありません。たちまち一座のヒーロー、いやヒロインとして押すな押すなの大盛況となります。

しかしそれも長くは続きませんでした。
日清戦争が始まると戦争の常か、見せ物としての剣劇は紛い物として遠ざけられ、実戦に使える武術が重視される世の中になり、彼女の属した佐竹一座もあえなく解散を余儀なくされてしまったのです。
こうして職を失った彼女でしたが、その剣の腕の方は有名だったらしく、その伝もあって姫路で光武館という道場を経営していた園田家に嫁ぎ、直心影流薙刀術宗家を襲名することになったのです。

こうして昼は姫路師範学校で教鞭をとり、夜は道場で稽古をつけるという生活を数年続けていた彼女でしたが、しかし間も無く人生の一大転機が訪れます。
日本の武道振興の為、多くの諸派を統合した大日本武徳会という統一団体が設立され、その総本山として建設された京都武徳殿のオープニングセレモニーとして演舞大会が開かれることになったのです。
その参加者として招待された秀雄はこの時30歳。

元々は試合の予定がなかった単なるゲストだったのですが、なんの因果か同席した大日本武徳会総裁の小松宮彰仁親王の目に留まり、特別試合が組まれることになりました。
そして対戦相手として選ばれたのが剣豪として名高い渡辺昇子爵。
いや名高いなどという生温いものではなく、渡辺昇こそ坂本龍馬と共に薩長同盟成立に尽力する一方、大村勤皇党三十七士同盟を率い、佐幕派や新撰組を斬りまくりったまごうことなき人斬りで、実はあの鞍馬天狗のモデルだと言われている人物なのです。
なんか漫画みたいであまりにリアリティのない展開なのですが、これが本当に本当の話。
しかも試合は秀雄の薙刀に圧倒された渡辺が途中で試合放棄するという劇的な勝利。正直漫画でもここまでご都合主義の話はありませんが、兎にも角にもこの一戦によって一躍彼女の名は日本武道界に轟いたのでした。

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最強の剣士を相手に数百戦で僅かに2敗 

秀雄は様々な武器の達人でしたが、中でも得意武器は薙刀でした。
俗に剣道三倍段という言葉がありますが、元々は薙刀の秀雄に剣道家が誰一人勝てなかった為、薙刀は剣術の3倍強い、という話から生まれたものだそうです。

さて、鞍馬天狗こと渡辺昇が敗れたとの噂はたちまちのうちに武術界を駆け巡り、我こそは彼女を破らんとする猛者が、次々と勝負を挑んできます。
中でも名高いのが、前人未踏の剣道、居合術、杖術の三範士号を持ち、昭和の剣聖、最後の武芸者の異名を持つ中山博道。
しかし秀雄はこの最強の挑戦者にも圧勝します。

学校で剣道の授業を受けた人も多いかと思いますが、この学校剣道の創始者が高野佐三郎。指導者として卓越した力量を持っていただけでなく、剣聖とまで言われた剣の使い手だった彼もまた、彼女に挑んだ武芸者の一人でした。
しかし、高野も又彼女に破れます。
こうして数々の剣豪の挑戦を受けた彼女は生涯数百回もの試合を行い、そのことごとくに勝利を納めたのでした。

彼女の人生において敗れた試合は2回だけ。しかもそのうち一回は剣劇興行時代に誰とも知れぬ鎖分銅使いに慣れぬ武器で不覚をとったものです。
もう一回は渡辺昇の弟子堀田捨次郎に敗れたとされるものですが、本人は立ち合いであったことを否定しているので、真偽のほどはよくわかりません。
いずれにせよ日本史上最強の女性剣士であったことは疑いありません。

無敵の女性剣士園部秀雄は、大正15年日本武道界最高の地位である範士の称号を受けます。仙台の貧乏士族の娘が、剣一本で日本最強の剣士の地位を掴んだのです。

1963年に園部秀雄は93歳で永眠しましたが、なんと90歳をすぎても剣を取り実際に演舞を行なっていたと言います。
死の間際まで、まさに彼女は最強の剣士であり続けたのでした。
事実は小説よりも奇なりと言いますが、無敵の女性剣士とか本当に漫画みたいな人が実在したのは面白いですね。

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大山敬義 / バトンズCEO / ProPicker
歴史オタクの上に、重度のガジェットマニア、時々ミリオタ、たまに世界放浪者、自称中東ウォッチャーです。 ついでに一応M&A専門家かつIT企業経営者、NewsPicks Pro Pickerでもあります。 Noteは個人の備忘録がわりなのでおヒマな折にでも軽い気持ちでご笑覧ください。