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誹謗中傷、あるいは他人の人生に介入しようとすること【現在編】


前回このように書いた。


インターネットが定着する以前の社会では、有名人への誹謗中傷は嫉妬などを含みながらも、対象に何かしらを求めるようなものではなかった。それは、井戸端会議でのコミュニケーションや居酒屋での政治論議でしかなったということだ。

それらは仲間内で話すことに意味があることから、有名人に直接いうほどの動機は持っておらず、彼らにほぼ届くことはなかった。また、当時の誹謗中傷が元々そういった意味のものであることを理解している有名人からしても、「有名税」と称して黙認する程度のものであった。


ところが、インターネットないしSNSが人々の生活に結びつき、有名人もそれをマーケティングやコンテンツ提供の手段として用いることによって、一般人と有名人の距離は大きく縮まることになる。これにより、有名人へ直接メッセージを送ることは強い動機を伴った行動ではなくなる。

さらに、コミュニケーション手段としての誹謗中傷というメタ的な目的を一般人は愚かにも忘れてしまったため(感覚は依然変わらずも)、相手に行動や思想の矯正を求めるような誹謗中傷ばかりがインターネットコミュニケーションにて行われるようになったのである。

へずまりゅうへの非難と誹謗中傷

「へずまりゅう」というyoutuberがいる。迷惑系youtuberとちまたで言われており、登録者が多い人気のyoutuberにアポなしの凸コラボを持ちかけることが彼の芸風だ。

youtuberのところへアポなしで押しかけることは、迷惑極まりない行為である。(youtuberでなくてもそうである)加えて、へずまりゅうは街中で度々奇声を発したり、youtuberの家族を巻き込んだりとしているため、世間から数多くの非難を受けている。

またへずまりゅうの迷惑行為はとどまることを知らず、スーパーで魚の切り身を会計前に食べ窃盗容疑で逮捕、新型コロナに感染した状態で一般人と接触し感染させている。

迷惑系の名の通りの行動っぷりであるが、彼に関するニュースでのTwitterの反応を見ると「天罰喰らわせる」「死刑にしよう」などといったコメントが見受けられる。

確かにへずまりゅうは、業界や世間にとって数多くの迷惑行為を働き、大衆を不快にさせたことは事実であろう。私も彼に関する一連のニュースを見たとき、彼に対して少しばかりか不快感を覚えた。

しかし、迷惑行為を働いたことをきっかけとして、へずまりゅうを私刑しようとする世間の動きには反対せねばなるまい。

いくら私たちが彼の行為で不快になったとしても、彼を私たちの手で罰そうとしてはいけないし、言葉で彼を傷つけることはもはや誹謗中傷と変わらない。

「いやいや、あいつは実際に悪いことをしていたし、これは誹謗中傷なんかではなく批判だよ。」と反論する人もいるだろう。

それでは、誹謗中傷と批判の違いを明確に理解し、使い分けている人間がどれだけいるだろうか。

例えば、誹謗中傷に関して木村花氏の事件が記憶に新しいが、彼女が誹謗中傷された理由はテラスハウスのとあるエピソードである。


彼女は番組の雰囲気を重くしたために、視聴者の顰蹙を買い、誹謗中傷されるようになった。

誹謗中傷をした視聴者としては、自身の言動をその瞬間において「誹謗中傷だ」と自覚していただろうか。

誹謗中傷の辞書的な意味は、「根拠のないことを言いふらして、他人の名誉を傷つけること」である。視聴者は直接に被害を受けていないことと誹謗中傷の意味とを踏まえてみると、「番組で横暴な態度を取った、私たちを不快にさせた」という根拠で木村氏を叩いてもいいという判断に至ったことは明白であろう。

つまり、世間が「叩いてもいい」という理由を見つければ、世間にとって誹謗中傷は批判に姿を変え、許される行為として認知されるのだ。

これは、アンジャッシュ渡部氏の不倫騒動でも見られた現象だ。不倫をしたから、多目的トイレを不適切な目的で使ったから、女性を無碍に扱ったから、などの様々な理由を、誹謗中傷の根拠に用いた。

これらを通して、へずまりゅうへの反応を見てみよう。まさに、現在進行形での誹謗中傷問題がそこに生まれている。

正義面した誹謗中傷

昨今の事情を踏まえてか、言葉は人を傷つけるものであるから、安易に誹謗中傷してはいけないという風潮が世間では流れている。有名人も、誹謗中傷を「有名税」としてただ黙認せずに、法的措置を用いて対抗しようとしている。

だが、人の容姿を非難するような、私たちが思っている誹謗中傷というのは意外に少なく、そのほとんどは「叩くだけの理由がある」と思い込んだ結果としての正義面した行為ばかりがある。

それをきっかけに対象が自死すれば、「誹謗中傷はよくないね、言葉は大切に使おうね」といいながら、人を傷つけてもいい些細な理由を見つければ、「それはそれ、これはこれ」と言わんばかりに自身の誹謗中傷を正当化しようとする。

本当に「誹謗中傷はよくない」と考えているのなら、誹謗中傷と批判の明確な違いを理解しようとするはずだし、無関係な赤の他人をそれ相応の理由があっても無闇に罰そうとは思わないはずだ。

しかし、(私たちにとって)悪い人間は私たちに私刑されて当たり前だ、というような空気は相変わらずである。

大衆が学んだことは、「そいつを殺してもいいような明確な理由を見つけようね」ということであり、上手に人を傷つける方法だけだった。

<次回へ続く>

*三浦春馬氏の騒動は、自死の理由が諸説あるため取り上げていません。


本買ったり、コーヒー飲んだりに使います。 あとワイシャツ買ったり