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白鳥と少年

近所にわりと大きい公園があります。水路で繋がった大きい池が3つくらいあり、毎年冬が近づくと渡り鳥がたくさん飛んできます。

中でも白鳥は訪れる人の目を楽しませていました。白鳥が泳ぐ優雅な姿は、寒い日でもそれを見に来る人達を多く惹きつけていました。

春が近づくと、白鳥たちは旅立っていきます。そしてまた、肌寒くなった頃舞い戻り、美しい姿を見せてくれました。公園に来る人たちはその姿を見て、今年も又帰ってきてくれた、と嬉しく思うのでした。

3年前の春、また白鳥たちが旅立つ時がやってきて、1羽,2羽と居なくなっていきました。
ところが、最後の1羽がなかなか旅立ちません。

「ずいぶん暖かくなってきたけど、大丈夫なのかな?」
よく観察してみると、足を痛めていることがわかりました。水の中に長い時間いることも難しいようです。バランス悪くヨタヨタと歩き、草むらにしゃがんでいることが多くなってきました。

「あの白鳥、飛べないんやね。このままでいたらあかんよね」と公園を訪れる人たちは心配していました。
気温が上がると辛くなってくるだろうな、餌などはどうしているのかな、と。

美しかった白鳥の羽はどんどん汚れて灰色になって、長い首を身体に巻きつけてじっとしていることが多くなりました。

そして、とうとう夏になってしまいました。
朝か夕方には散歩の人もたくさんいましたが、昼間は外に出るのが大変な暑さになりました。

それでも、白鳥は日のあたるところでじっと動かないことも多くなりました。ものすごい暑さの中、息をするのも大変な感じでした。
しかし、その姿には、辛い現状を淡々と受け入れて生きる力強さを感じさせられました。

そんな夏のある夕方、いつものように白鳥を見に行った時です。

白鳥の横の小さいベンチに10歳前後くらいの少年が座っていました。一緒に池の方を見ながら、少年の手は白鳥を優しく撫でていました。

私は離れたところから見ていましたが、白鳥は怖がらずにむしろ自分から首を伸ばして、少年に寄って行ってるように見えました。

ベンチの横の木が陰をつくり、そよ風が吹いてとても絵になる風景です。

私は嬉しくなりました。きっと私にはできないでしょう。何度か白鳥に近づこうとしましたが、そのたびに足を引きずって逃げようとし、却ってかわいそうなことになったからです。

私は少年に感謝し、白鳥に(友達ができて良かったね)と心の中で言いました。

それからしばらくの間、同じような時間に行くと、いつも白鳥と少年のペアが見れるようになりました。

そして夏もようやく盛りが過ぎ、秋の気配が感じられる季節になりました。
帰りが遅くてしばらく行けなかった公園に、久しぶりに行ってみると、いつものところに、白鳥の姿がありません。
代わりに立て札があり、何日か前に死んでしまったことを知りました。

白鳥には名前もあり、美しかった時の写真もありました。きっと、公園の管理をしていた人たちが世話をしてくれていたのでしょう。

白鳥はかわいそうでしたが、たくさんの人たちの愛情を受けていたのだな、とわかりました。そして、私たちの心に温かいものを遺してくれました。

それ以来、白鳥たちは戻ってきませんでした。

私は今も池の横を通る時、いつもあの白鳥と少年の姿を思い出します。そして、白鳥が嬉しそうに元気に空を飛んでいるイメージが頭をよぎるのです。



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