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休符の話

おはようございます。

河野企画代表、チューバ奏者、指揮者の河野一之です。

自分の留学中の経験や帰国後これまでレッスンをさせていただく中で学んだ僕たち奏者がもつ「休符」の存在について書いてみたい。

きっと無意識に行なっていることや新しい出会いもあると思うのでぜひ読んでみてほしい。

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休符

音符という音の高い低い、時間的長さ表す記号と対となる存在が休符だ。

無いことを示すというと0=ゼロを思い浮かべがちだけれどもこの休符にも長さは存在する。つまり休符とは

音が無い時間を表現するための記号

ということになる。

音楽家の中には究極的にこの休符を使用して作曲した作品を持つものもいて、4.33の間休符を表現し続けるその名も4'33 / John Cageという作品がある。

ピアノで演奏されることも多いが、こちらは金管バンド版
Wikipediaの解説が激アツなのでぜひ読んでみてほしい。

ここまで書けばわかると思うけれども、休符は文字面こそ「休む」「符」と書いてあるけれども時間が無い空間を表現している記号である。これを踏まえて次の二つの題を書いてみる。

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心理的な面

演奏会中、一小節以上の長い休符を持った時多くの奏者は何かを考えているようだ。

とある日のレッスン、僕の前で演奏してくださっている奏者の様子を観察させていただきながら聞いていると曲が休符の箇所になった。するとやはり何かをお考えのようだったが表情や雰囲気から何をお考えになっているのかはすぐにわかった。しかもそれは恐らく音楽的なことでは無い。

〇〇さん、そこの休符のところ、
もしかして直前の演奏の反省をしていませんか?

この予想は正解だったのだけれども、どうやらご本人も無意識のうちに休符の箇所で1人反省会を繰り広げていたようだ。

しかも驚くべきことにこのケースはお一人だけには止まらずレッスンをさせていただく方々の中に数多くいらっしゃった。

気持ちはよくわかる。僕もしたことがないといえば嘘になるし、1人で練習している最中というのは一曲を分割して要所要所練習をしたりする。

なので長めの休符の際に一度小休止をとり自分の演奏を振り返る時間を取るのはよくあることだ。でないと毎度数分ある曲を全て通しては数分ある曲の中にある何百とある音符やフレーズを振り返らなくてはならなくなる。

しかし、これもバランスの問題だけれどもその要所要所の練習の習慣が付きすぎて本来自分の演奏が「無い」ことを表現するために存在する休符が本当の意味でお休み、休憩、そして反省会の時間になってしまい本来音楽を表現するための音符と対を成す存在である休符がないがしろにされてしまう。

また自分+楽譜+楽器を通して音楽を表現している最中である演奏の最中に反省をする時間は必要ない、なぜならその場は表現をする場所であるからだ。

個人練習やリハーサルの場で自分の演奏を省みながら練習をすることは上達する上で必要不可欠であるが、その省みる時間は休符の中には無い。

省みる時間は楽器を降ろし演奏をしっかり中断させてから取るべきだ。でないと本番のための練習な訳だからその練習で行なっていた習慣が本番にでる。つまり演奏会の最中やレッスンで休符=お休み、思考を巡らせる時間となってしまう。

じゃあ休符の時にどうしておいたら良いのか、それは次の章で。

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音楽的な面

僕たち管楽器奏者が演奏する曲にはソロの曲でもなんでもアカペラ、無伴奏曲以外ほぼ全てアンサンブル曲と言って良い。

ソロの曲でもピアニストやバンド伴奏がいるし、オーケストラや吹奏楽、金管バンドでは当たり前のように何十人もの奏者と一緒に一曲を表現する。

なので僕たち一人ひとりがもつ休符の外にはほぼ90%誰かが演奏している。

残りの10%だって休符を交えることにより音がない空間をいうのを聴衆にお聞かせしている。

なので休符だからといってお休みしてしまうのではなく、演奏の、音楽の一部であり続けなくてはならない

このResurgam / Eric Ballの7.37から聞いてみてほしい。

上記した10%の意味がわかると思う。この休符=音がない空間が表現する緊張感も音楽の一つなことがよくわかるだろう。

なのでソロの曲を練習していようが、大きいアンサンブルの曲のあるパートを練習していようが可能であれば総譜=スコアを見ながら音源を聞いてみるのも良いし、それによりソロだけ、パートだけではなくその曲の全体像を理解することはとても大切である。

これを知ると休符で反省会をしている場合ではないことがよくわかる。

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まとめ

日々の練習の習慣が合奏で現れ、合奏での習慣が本番の舞台上で現れる。

その舞台上でどういう状態でいたいのか、どんな音楽を表現したいのかそれを個人での練習の際によくイメージし、具体的にもっておくこと

つまりなぜ練習するのかという
本質をいつも考えながら練習をすることが大切である。

その理念のもと練習をしていればいかに休符であろうと反省会は始まらない。オーケストラのチューバパートなんて300小節、5~6分休みなんてザラである。そこで毎回反省会をしていたり、集中を途切れらせていたらとても何かを表現し聴衆にお楽しみいただくことなんてできないというのは想像しやすい。

楽譜に書いてあることは全て「作曲者や編曲者がわざわざ書いていること」つまりなんかしらの意味があるものというものを忘れてはならない。

今日はそんな休符の話。

Have wonderful music life!

Thank you

Kazz



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