いつ音楽の良さを知る?全てはコンクールのために
おはようございます。音楽家、チューバ奏者、指揮者、金管バンド専門家の河野一之です。
まずはお知らせ
7月18日(土)13:00開場
■Brass in Recital 11th
公募でお集まりいただいたソリストと素晴らしいピアニストによるソロのコンサート集
アマチュアの管楽器奏者の方々にプロのピアニストとリサイタルホール、そしてお客さまの前でソロを演奏する機会をご提供できないかということで開催し始めたのが2019年
早くも11回目の開催となります。
僕も今回は約30分のミニリサイタル形式を取る3曲のプログラムでお送りしますので、ぜひ皆様お越しください。
■Brass in Recital 11th
7/18 13:00開場
埼玉県草加駅最寄り徒歩1分AKOSホールにて
ご入場フォーム
■チューバ会
・日時:7/23(土)18時〜20時
・会場:小平市鈴木公民館 ホール
・講師:河野 一之
・内容①構え方、息のチェック②ロングトーン③Q&A
※詳細は画像をご確認ください
お申し込みはこちらから!
はじめに
毎年初夏になると、日本の管楽器や打楽器奏者のもとへ様々なツテを伝って吹奏楽部や吹奏楽団からのご指導依頼がきます。
これは確かに日本の音楽業界の発展に寄与しているし、我々職業音楽家が生きていくのに、とてもありがたい機会であるのは間違いありません。
これらは往々にして、夏に開催される吹奏楽コンクールのためにというわけなのですが、白熱するこのコンクール業界事情の中であまりHappyではないことが起きているのではないかという話です。
演奏する楽しみを知る前に、コンクールは始まる
日本の学校への入学は4月、そしてコンクールが大体7月下旬から8月、勝ち上がればさらに秋口まで行われます。
つまり新入部員にとってはたった3ヶ月でコンクールのシーズンがやってくるわけです。想像をしてみてください、例えば中学生であれば数ヶ月前までランドセルを背負った小学生だった子が部活動紹介や仮入部で「楽しそう!!」とワクワクした気持ちで入部をし、たったその3ヶ月後にはコンクールが始まるのです。
例えば大人数をかかえる吹奏楽部であれば、①コンクールに出る組、②初心者同士で基礎や演奏のイロハを習う組と分けることもできます。
でも果たして少ない人数のバンドではどうでしょうか?
仮入部をし、楽器に初めて触れ、楽譜の読み方も吹奏楽での吹き方も何も知らない状態で始め、数週間後には合奏に参加
右も左も分からない中でコンクールのための課題曲や自由曲を指導者の指示通りや先輩の指示通りに吹けないと怒られる。
やり方がわからないからできないので、また怒られる。でも指導者も先輩も専門的な知識を持っているわけではないので奏法を指導してもらえずまた怒られる。
そういうもんかと、自分が悪いのか、とにかく頑張れ、気合いだ、練習量が足りないからとひたすらやる。そして運が良ければ上達します、運が悪ければ吹けず、自己肯定感が上がらず、自信のない人間に育ちます。
そういう中にひょっこり僕らの様な職業音楽家が指導に行かせてもらうと、例えば
・楽器が壊れている
・合っていないマウスピース(金管楽器の歌口)や器具を使っている
・根本的に間違った姿勢や奏法をしている
こんなのばっかりです。日々の部活動に専門家がいて、コンクールのため!!と焦らずじっくり付き合えば楽しく演奏できる子たちしかいないのに、吹奏楽部にはほぼほぼ専門的な知識を持っている人は常駐していません。
吹奏楽”部”なので教員免許を取得するのに吹奏楽や部活動を指導や運営の仕方を専門的に学ぶ必要や機会などほぼないのです。あって講習会ぐらいです。
ですが、学校によっては1日何時間、土日も使って十数時間と、教科や主たる学校教育以上になぜか時間をかけられている吹奏楽や部活動において、専門的な知識がない方がご指導をされ、運営をされるのには無理があります。
学校や学校の先生、生徒児童、さらに保護者や地域の方が頑張ればどうにかなる問題ではありません。
会社員の方だって、憧れの業界の会社に入社し、入社後、3ヶ月後にプレゼンテーションの社内コンテストがあるので頑張りなさい。でも仕事のことやプレゼンについてのやり方は教則本と資料しかありません。さらに普段は他業務(学生と取っては授業)があるのでそれ以外の時間で準備しなさい。でも実際に専門的な知識や経験を職業としている方からの指導はありません。でもコンテストでは上を目指しなさい、ミスをすればなんでできないんだ!!と言われる。
もしこうだったら、どうでしょうか?今の世の中では多くの方が転職されると思います。
手段と目的
僕たちは手段と目的を混同し、大事な順序を履き違えやすいです。
お金があると幸せ。確かにそうですが、お金は手段で、目的は幸せです。でも間違えやすいのは手段であるお金稼ぎを極めようとし、働き過ぎたりお金に執着を起こし、目的である幸せという状態とはほど遠い状態になったりします。よくある話です。
コンクール、部活動、学校、吹奏楽、音楽、楽器
これまで書いてきた中で出てきた要素は全て「手段」であると僕は思っています。なんの手段か?それは児童や生徒が1人の独立した人間として幸せな人生を生きていくためという目的のための方法です。
ここで文部科学省の義務教育の目的、目標を読んでみます。
以下抜粋
もちろん、税金を集め国が主体となって教育を受ける権利を小中の9年間保証するということなので、その主体となっている「国」「社会」に合った人間の育成というのが大事になってくるのはわかります。簡単に書くと「お金を出しているのはこっちなんだから、こっちに都合の良い人間になるような教育にします。」です。
その国もまた選挙によって選ばれた政治家が運営しているわけですからルール的にはフェアです。(だから選挙に行きましょうと多くの方が言っています。)
でも全ての学校がそうであるとは決して思いませんが、僕の経験上では手段と目的が入れ替わりなんのためにやっているのかわからないまま「いいからやれ!頑張れ!どうにかしろ!」と目的もわからず指示をされ、しかもその指示も専門性があるわけでもなく、できないと理不尽に怒られ人間性を否定されるという現実があります。
理不尽すぎます。
職業音楽家な我々指導者は使い捨て?
さらに職業音楽家の使い方もそうです。
コンクールの前だけ呼ばれ、この曲を吹ける様にしてあげてください。
たった数時間で・・・
こういう注文が多発します。
でも冷静になって考えてみてください。日本語話者がたとえ世界で最も偉大な英語教師に数時間習っただけで原典版のハリーポッターを読める様になるでしょうか?
何が大切かってみんなわかってるはずなのに、インスタントに結果だけを求めます。
大切なのは日々のコツコツとした基礎や正しい奏法のもと行う日々の練習時間です。
職業音楽家を呼んだら、サプリを与えて一粒で2kg痩せますみたいな感じで、その数時間で曲が吹けるようになるなんていうのは基本的にはありません。
公文式や体操教室、サッカークラブや野球教室だって日々のコツコツとした練習時間や勉強時間を専門家の元で学んでいるから、いざさらに専門的なスペシャリストな学者や指導者が来た時にモチベーションや実際の知識や技能が上達するのです。
しかもさらに言えばその時に得た知識や技能でさえ、その後の指導方法によっては簡単に失われます。
なので僕は個人的にいつもコンクール以外のオフシーズン特に演奏会などがない閑散期にこそ呼んでもらい、基礎や楽器のメンテナンスについて、オイルやグリスなどの日々のお手入れグッズ、奏者にあったマウスピースなどの話を一人一人時間をかけて行いたいですとお伝えしています。
短時間で手に入れたものは短時間で失います。児童生徒も、奏者も音楽家も、使い捨てのコマではないのです。
コンクールは手段
コンクールは手段です。音楽も手段です。
その中で僕は、音楽は自己紹介、つまり自分自身を表現する方法の一つだと思っています。
ある人は話すこと、ある人は文字で、ある人は絵で、ある人は歌でと、それぞれ自分を表現する方法において得意なものがあります。そんな中で吹奏楽、管楽器や打楽器の演奏を選んでいるだけです。
そしてその自己紹介、または自分が見たり感じたものを言葉や歌、文字や絵では表現しきれないので管打楽器で表現する
そうした楽しみや幸せを増幅させるための手段としてコンクールがあるのです。同じ目的を持った人同士が集まり演奏し合うのですから楽しいに決まっています。
決して誰かのお金のため、地位向上、指導者や保護者の承認欲求を満たすためにあるのではありません。奏者それぞれの幸せのためにあります。
そのためにもしコンクールが足枷になるのであれば出場を取りやめれば良いだけの話です。
そもそも、部活動というは文化庁が平成30年にだしたガイドラインによると
こう書いてあります。最後の太字の箇所「・ 生徒の自主的、自発的な参加により行われ、学校教育の一環として教育課程 との関連を図り、合理的でかつ効率的・効果的に取り組むこととし、各学校においては、生徒の自主性・自発性を尊重し、部活動への参加を義務づけたり、活動を強制したりすることがないよう、留意すること。」
ここです。つまり顧問や他専門的指導者は生徒の自主性を尊重し
「こんなこともあるよ、あんな方法もあるよ。でもね、やるかやらないか、試してみるかみないかは皆さん次第です。」「例えばコンクールにでるとこういう風なメリットがあって、逆にでないとこんなメリットがあります。」
と言った具合に先に生きる、知識や経験を持っている先生として方法とその先の可能性について議会進行役になり、決定権である票を持つのは生徒に任してしまえば良いわけです。
そこで、生徒たちがコンクールにでたい!そしてより楽しく良い演奏がしたい!のであれば
・もっと専門的な指導者を呼ぶという方法
・教則本を仕入れる
・楽器のメンテナンスを行う
・練習時間を工夫したり増やす
→そのためにお金が必要になるけどどうするか
→誰にどういう風に頼むか、お金がない家庭は
など生徒自身に考えさせれば良いわけです。
生徒も自分で考えられるし、自分達で決めたことなのであれば勝手に守りたくなるでしょう。
生徒が言うことを聞かない、真面目にやらない
→先生が勝手に決める、または学校の伝統などと言って生徒が納得していないことを矯正させようとすれば自ずとこうなります。大人だって同じ対応をするはず、当たり前の話です。
最後に
生徒や児童を子供扱いしているのは、我々大人です。
生徒や児童を何もできない、考えられないと信じているのは我々大人です。
僕の意見では、僕よりも20代やもっと若い子どもと言われる子たちの方が本当に大切なことをわかっているし、逆に大人に気を遣って立てようとしてくれます。
子供扱いしたり、何もできない、わからない、考える力もまだまだだもんね。と扱うよりも
1人の人間として、やり方さえ見せれば本来はなんでもできる、我々大人と呼ばれる存在よりもより良い方法を生み出したり、新しい可能性を見せてくれると信頼と期待をもって接した方が良いはずです。
そんな生徒や児童の可能性がコンクールや部活動で「より活きてほしい」のです。可能性を箱詰めし、画一的にみんな同じ形に揃え、感情を奪い、自己肯定感を根こそぎへし折るような時間にはしてほしくないわけです。
僕は教育の中心にいないので、「そんなこと言ってもお前は内情を知らない、現場にいないじゃないか」と言われればそれまでですが、それを無視して書いてみると
意外と生徒や児童は良い意味で環境だけ整え、ほうっておいた方がどうにかなるんじゃないかなと思うのです。
そんなことを思った初夏でした。
今年もコンクールシーズンがもう来ています。少しでも純粋に音楽を楽しめる児童生徒が増えますように
Thank you
Kazz
サポートして頂いた支援は全て金管楽器や金管バンドの奏法の研究、音楽を使ったエンターテイメントの発展に使用させていただきます。