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水は器にあわせて形をかえ、一滴ともなり、また大海ともなる。そんな水の清らかさを心に抱いて書かれたのが、水の巻だ。

バスというサカナ

賞金レースでもあるトーナメントにおいて、なぜキーパーサイズが定められているか。その理由のひとつには、ゲーム性がある。技術を競うゲームであるがゆえに、偶然の要素は出来るだけ排除したい。バス釣りはシーズナルなパターンを読み取り、バスを探しだすことにある。

そのシーズナルなパターンの中核になるのは産卵だ。つまり、産卵に絡まないバスにゲーム性は乏しい。実際、産卵に絡まないいわゆる小バスは好奇心でバイトしてくることも少なくない。ゲーム性を求めるバス釣りにおいては「如何に好奇心をくすぐるか」といった要素は、バスを探し出す技術を競うゲームにおいては、第一義ではない。

競技ではないバス釣りにおいて、好奇心をくすぐることでバスを釣ることは否定されるものではない。しかし、バス釣りの基本的なスタンスに立ち、本来、自分が釣りたいと思っているサイズとの天秤にかけてみるとどうだろうか。バス釣りというジャンルに踏み込んで、あえてゲーム性を無視したり、サイズを妥協する必要はあるだろうか。

バス釣りはこうでなければならない、といった規則はない。だからこそ、自分の釣るバスをどう定義するかが重要だ。「小バスはバスじゃない」。そういった見方をするだけで、大海が広がるかもしれない。そこに待ち受けていることは、決して優しくはないが、きっと充実したものになるに違いない。

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