前へ前へ
私には男兄弟がいなくて、姉と結婚した義兄がお兄さんと呼べる唯一の人でした。
でもお兄さんと呼んだことはなくて、いつも名前で呼んでたな〜
トレイルランニングの世界では少し有名人だったこと
ガンバフンバくんに扮して各地のマラソン大会でランナーにパワーを送ってたこと
ちゃんと知らなくて、亡くなってSNSとかで知ることも多かったかな。
私が作るお好み焼きをとても喜んで食べてくれる人で、よく動け、姉に肉分けろって叱咤激励(?)してくれた人でもありました😂
26日、ゴロゴロしててふとスマホみたら、姉から連絡きてて、見た時の衝撃は忘れられない。
取るもの取らず、東京駅に向かったら、静岡の大雨の影響で新幹線が動いてなくて、大阪に帰るのも時間がかかったな…
直ぐには家には帰ってこられず、翌日に姉と迎えにいき、家に帰ってこれたのは18時。
通夜、告別式の日取りも決まらず、月曜、火曜でする予定で持ってきてた2日分の服は結局1週間着回すことになりました。
在宅ワークにさせてくれた会社。(仕事より色々姉の手伝いをしてる時間の方が圧倒的に多かった…すみません)
段々とどうしても傷とか、顔色とかが変わっていく義兄を見るのは本当に辛かった。
義兄の知り合い(志しを共に過ごした仲間の方)が納棺師さんを呼んでくれて、化粧をして綺麗になった時
姉が泣き崩れた姿は多分一生忘れないと思う。
それまでは気丈にお店のこと、お義母さん、お義父さんのことを気遣ってた姉が初めて泣き崩れた。
結婚して7年。子どもは居らず、猫2匹と過ごした日々は姉にとっては決して短いものではなく、むしろそれまでの姉の人生の中で1番濃い時間だったと思う。
色んなところに連れていってもらい、たくさんの出会いを与えてもらい、妹の私からみても仲むずまじい夫婦だった。
まだ実感はないだろうし、私も全然実感はないのだけど
きっと姉ならこの辛さを乗り越えて、前へ進んでいけると信じてます。
義兄は前の奥さんを病気で亡くしており、姉とは再婚で前の奥さんのことは「家族」だと常々姉は言ってたけど
この義兄を亡くした日々の中でも、毎日、前の奥さんの神棚のお水を変え、食事をお供えしてる姉の姿をみて、
きっと姉はこれからもその誠実さで周りの方の信頼を得て、支えて貰えると思います。
モットーは「無理をしない」私と違って、常に動き回る姉のことは心配だけど、
周りの方の助けを貰って、これからも義兄が残したお店を何とか続けていってほしいと強く思いました。
しばらく、バスケのことも追いかけていれず、全然チェックも出来ず、何ならカウントダウンも出来てなかったけど、明日から再開したいなーって🥺
私にとって、大好きな選手達を応援できることは生きがいなので、当分東京ー大阪の移動で忙しくなるとは思うけど、また復帰しようと思います☺️
義兄が残した歌詞にあるように
前へ前へ進んで、この道を越えていくぞー!!!
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