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Webメディア『ferret』誕生秘話|ベーシック秋山 × 飯髙創刊編集長

株式会社ベーシック noteチームの奧田(@OKYO000)です。

代表の秋山(@basic_CEO)もnoteで触れていましたが、2019年8月28日に、Webマーケティングメディア『ferret』をリニューアルしました。

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今回は、その『ferret』のリニューアルと、『ferret』の創刊編集長である飯髙悠太さん(@yutaiitaka、以下、飯髙さん)の初書籍『僕らはSNSでモノを買う』の出版を記念して、『ferret』創刊のきっかけや、当時の取り組みについてお話を伺いました。

飯高さん対談記事

再会から2ヶ月のスピード入社

ー飯髙さんが『ferret』に関わることになったきっかけを教えてください。

秋山さんとは、『ferret』を立ち上げるという話をいただく前に、実は数回ほど会ったことがありました。
僕が2社目の会社にいて、秋山さんと同じクライアントを支援していた頃です。でもそのときは特に深い話はしなかったんですよね。

その後『ferret』に関わるキッカケとなったのは、共通の知人から突然もらった電話でした。
「紹介したい人がいるから飲まないか?」と誘われて、僕はそのとき別の飲み会の予定があり、結局22時くらいに到着しました。
当時のことを秋山さんは覚えてないと言っているんですが、僕は今もしっかり話したことを覚えています。ただ、お互い酔っ払った状態での再会だったんで、覚えてなかったことは別に何も気にしてないですけどね。笑

ーどうして『ferret』を一緒に立ち上げることを決めたのですか?

秋山さんが話していた「企業が本質的でないマーケティングに傾倒してしまっている」という課題感が、僕が当時抱いていた「一般的に『マーケティング』と呼ばれているものが、実は『マーケティング』という本質からは遠く離れてしまっているかもしれない」という考え方と一致していたんですよね。

(秋山が当時持っていた課題感については秋山のnoteをご覧ください)

「その世界を一緒に実現したい」と思い、当時もらっていた他社の内定を急遽辞退することにしました。
そして、秋山さんとの再会からわずか2ヶ月でベーシックに入社し、Webマーケティングメディアの『ferret』を立ち上げることを決めたんです。

始動してからが苦難の連続。でも苦しいとは思わなかった

ー 立ち上げてから『ferret』は順調に運営されていったんでしょうか

いえ、正直一筋縄では行かなかったです。笑
一応なんとか形になってリリースまで漕ぎ着けたものの、実は社内にWebマーケティングに詳しいメンバーが多くいたわけではなく、リリース後の運営体制が整っておらず大変でした。

唯一知見を持っていたメンバーと僕の2人で、月に100本の記事を書いた時期もありました。今考えると恐ろしいですね。笑

ー月に1人50本ということですか...20営業日で考えても1日2本、私だったらキツイ以外の感情がなくなってしまいそうです。

一般的には苦しい仕事と捉えられがちだと思うのですが、当時はそんなに苦しいという感覚を抱かなかったんですよね。
なぜ僕が苦しまずに『ferret』を運営できたのかを今考えると、やはり「ないものを作っている感」があったからじゃないかと。
マーケティングについてのメディアが複数あるなかでも、『ferret』ならではの価値を届けられる自信があったからこそ、当時頑張れたんだと思います。シンプルに楽しいじゃないですか、そういうのって。笑

『ferret』が目指した世界観

ー「『ferret』ならではの価値」というと具体的にどのようなものだったのでしょうか?

いわゆる「マーケティング」と呼ばれるものは、当時は一部の業者が提唱するある意味小手先のテクニックに惑わされるケースが多く、「マーケティング」を知らない人がそれに振り回されている感じを覚えていました。
それについて、僕としては違和感を覚えていて、要するに、「マーケティングを知らない人」をできるだけ助けたかったんですよね。

マーケティングを知らない人が、例えば「○○って何?」と調べるときってありますよね。
その言葉の概念を知りたいという欲求からくる行動ですが、そのうえで「マーケティングを実践するとしたらどうしたらいいの?」と思いますよね。
なので、調べた際に「あ、こういうことなのね!」と理解してそのうえで実践できるような情報を、とにかく整えて提供したかったんです。

その当時は、マーケティングを学ぼうとしても、Web上に「体系立った情報」が非常に少なくて、「どこから学べばいいの?」という状態に多くの人が陥りがちだった、なのでまずはそこから整えました。
当時、そのために自ら作ったマーケティング体系に関する資料は2,000枚以上。今思うと、よく作ったなあと思いますね。笑

ーサイトのトラフィックが安定するまで険しい道のりだったと聞きました。

はい。今では安定したPV(ページビュー)を叩き出すメディアになったようですが、ある程度のトラフィックに至るまでの道のりは本当に長かったです。
「良いことが1つあるまでに、嫌なことが30ある」みたいな経験が日常茶飯事でしたね。笑

最初はフェイスブックやツイッターなどのSNSからの流入がメインでした。検索でも記事が上位に表示されるようになったのは途中からですね。
結果を出すために、できることはとにかく地道に試す、そんなことをずっと続けていました。
今になって思うと、そんな時代もあったなあって感じですね。

『ferret』がリリースから2年が経った時、日々なんとかやりくりして記事を公開し続けるフェーズを終え、ようやく定量的な目標を追いかけるフェーズとなりました。
そこから、「定期的にサイトを訪れるファンを増やす」という視点で、トラフィックを見ていた視点から、会員登録を目標にする視点へと変わったんですよね。

メディアに限らずの話ですが、数字を追う限り、良いときもあれば悪いときも当然出てくる。
数字が伸び悩むときに悩まない訳がなく、メンバーみんなで頭を抱える。
でも自分がメンバーと一緒に頭を抱えていては、メンバーが心配になってコトが進まなくなるだけ。
だからこそ、秋山さんと描いた世界を信じて、とにかくやり抜く、突き進んでいくことを繰り返しました。

一緒に走った秋山との思い出

ー当時の秋山との関係性について教えてもらえますか?

一言でいうと、良き相談相手だったなあと思っています。
方向性さえ合っていれば、秋山さんは小さいことを気にせず、まずはやってみるよう背中を押してくれる存在だったんです。その存在がとても大きかったですね。
逆に、秋山さんに言われたことに対して、自分が考え抜いたうえで「やりたくない」と思ったことは正直に「NO」と伝えられる、そんな関係性でした。

『ferret』の運営における細かな悩みは数多くあったけれども、2人で共通の方角を見てやってきたからこそ、なんとかやっていけたと思っています。
そんな関係性が築けていなければ、ベーシックに4年半もいられなかったでしょうね。それまでの僕の勤続最長期間は、2年ほどでしたので。笑

ー改めて、ベーシックで学んだことは何でしたか?

一番は「目的と手段は混同させない」ということですね。
当時目的が「Webマーケティングがわかる人を増やすこと」となったときに、実は「メディアではなくセミナーで順番にわかる人を増やしていくのがいいんじゃないか」と考えた時期もありました。
でもやりたかったことは、あくまでWebマーケティングを「大衆化」することだったので、セミナーは規模感から考えて適切な手段ではないと考え、撤退しました。

目的と手段をきっちり分けて意思決定を積み重ねた結果、ferretがここまでのメディアになったのかなと思います。今、多くの企業にマーケティングのアドバイスを求められる立場にあるなかで、繰り返しお伝えしていることは「きれいに作ろうとしない」ことです。
たとえそれっぽく見せたところで、ユーザーはそれが嘘か本当かわかる時代です。だからこそ、本当にいいものを作る必要がある。

そういう考えを持てるようになったのも、ベーシックで過ごした日々があったからこそです。
ベーシックで当時学んだことが今の仕事でも活きていますし、将来振り返った時にも間違いなく貴重な経験を得た期間であったと言えるでしょうね。

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