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<HSPエッセイ> ギャップが埋まって、心地よさを手に入れていくまでの昔話。

こんにちは😊

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さて、このnoteでは、HSPオンラインコミュニティひみつ基地内で投稿した記事をたまにシェアしているのですが…

今回は、昨年10月に投稿した「エッセイ」をお届けいたします。


ぼくの体験談が、あなたの毎日になにかプラスになることを祈って✨


*****************



▶︎ザザッと振り返る、ぼくの人生


「じゃあ、エースに読んでもらおうかな」

先生がそう言うと、ぼくは席を立った。

国語の教科書を握りしめ、ひと呼吸置く。

そして、ぼくが音読をしはじめると…

(わぁ〜)

と周りからは、小さな歓声のようなものが起こる。

小学4年生のぼくは、いつからかクラスの「音読のエース」になっていた。

国語の授業の定番といえば、順番に音読でみんなで読み繋いでいくというもの。

きっと、みなさんも経験があるだろう。

あれをやっている時に、なぜかカギカッコのセリフ部分を「情感を込めて読み上げる」のが流行りになっていて…

クラスの中で、どうやらぼくが一番それが上手いらしかった。

それで、ぼくがセリフ部分を読むと、周りから小さな歓声が起こるという、それが定番の流れみたいになっていた。


思うに、別にぼくはそれが好きだったわけじゃない。

目立つのは好きじゃなかったし。

ただ、「求められたからやった」だけだったように思う。


そうやって続けていると、今度は

「運動会のナレーションやらないか?」

と担任の先生から声をかけられた。

組体操の演技?のような種目で、ぼくらの学年は「スイミー」をやることになったのだが、そのナレーションをということだった。

数ヶ月後、ぼくの声で収録したナレーションのもと、学年全員が組体操を演じていた。

あの時は、少し不思議な高揚感を覚えたものだ。


学年が変わり、5年生になった。

この辺りからは物心がついてくるというか、前述のような「情感を込めて読み上げる」ようなものに「恥ずかしさ」を覚えるようになり、もうそれはやらなくなっていた。

でも、何となく「優等生キャラ」みたいなのがぼくに張り付いていった。

5年生は生徒会に立候補ができるようになるのだが、ウチのクラスからも数人候補を出す必要があった。

気づけば、ぼくは立候補していた。

目立つのは好きじゃないのに。

周りから推されたのだ。

これまた、「求められたからやった」だけだった。

ここでもまた不思議な高揚感を覚えたが、全校演説の日の前日はそれを死ぬほど後悔した。

急激に不安が襲ってきたのだ。

全校生徒の前で演説なんてぼくには無理だ、逃げ出したい…

泣き濡れた夜だった…


しかし、翌日、本番は全然上手くいった。

自分でもビックリするほど、本番に強いタイプらしい。

人前で普通にしゃべれた。

これまた、不思議な高揚感だったのを覚えている。

そして、当選した。

翌年、6年生になっても、また立候補して、当選した。

「立候補して当然」「まぁきっと受かるでしょ」みたいな空気が、ぼくの周りにはあって、ぼくもそれにのっかるのが当たり前と言う感覚だった。

しかしこれもまた、「求められたからやった」だけだったように思う。


中学生になると、今度は友達が生徒会に立候補し、その応援演説をやるようになった。

これまた不思議とスラスラしゃべれた。

この頃にはもう、「周りから求められたらやる」というのが本当に当たり前みたいになっていて、しかもやると上手くできるものだから、どんどんその流れは加速していった。


高校に上がると、学年全員が一年かけて各々に決めた研究テーマをまとめて論文にして発表する、というコンテスト形式の授業があった。

ぼくはその時、ブラックバス釣りが好きだったので、「外来魚問題」についてのテーマを書いてみた。

すると、あれよあれよと、コンテストを勝ち進み…

学年のベスト3がそれぞれに演説形式で全校生徒の前で発表するという、最後の大会にまで出ることになった。

この頃には、ある程度「人前で話す」ということに関しては度胸がついていたというか、やれる気が存分にしていた。

そして、やれた。

スラスラしゃべることができた。

結果、2位の成績をおさめることができた。

自分の考えを書き記し、それを人前でしゃべるということが得意なのかもしれない、とこの頃にはいよいよ思うようになっていた気がする。


そして卒業が近くなってくると、担任の先生から

「卒業生代表のスピーチをやってほしいって、先生たちの間で意見が一致したんだけど引き受けてくれない?」

と言われて、引き受けた。

先生たちの間で意見が一致してるのを断る勇気はなかった…

それはそれはすごいプレッシャーの中だった…


でも、卒業式でバリっとこなせた。

我ながら、たいしたものだと思った。

しかし、ここで大事なことを忘れてはいけない。

そう、どれも「求められたからやった」ことばかりだった。

ぼくが望んでそれをやったわけじゃなかった。

しかも、どうやらそれが「得意」な部類だったからこそ、幸か不幸かどれもこなせてしまった。

得意なことは、人から求められる。

それを体感して、骨身に染みた学生時代だっだように思う。


でも…

でも…

やっぱりどれも、ぼくが望んでやったものではなかった。


社会人になると、いろんな職場を経験した。

7回は転職したし、接客・営業・製造・事務など、いろんな職種も経験した。

そんな中で、ある傾向を感じていた。

それは…

「得意なことをずっと引き受けていると、それが平気な奴だと思われる」

ということだった。

たとえば、ぼくは「接客」「電話応対」がどうやら得意だった。

周りからの評価もよく、ここぞと言う時に頼られることも多々あった。


でも…

でも…

ぼくはそれらが好きじゃなかった。


接客の仕事に出勤する足は毎朝重かったし、静かなオフィスで電話応対をし続けるのは、ただただ苦痛だった。

でも、周りにはきっとそうは映らなかっただろう。

だって、「得意」だと思われているから。


そうやって、学生時代の延長で「求められたからやった」を続けていくうちに…

やがて心を壊すタイミングがきてしまった。

会社内の組織変更、配置変更で、ぼくは営業という「一番やりたくない仕事」の専門に配置された。

どうやらそれも「あいつはどうやら得意だから」という理由らしかった。

数ヶ月はがんばったが、適応障害という形になり、ぼくは休職を経験した。


教科書の音読も、ナレーションも、選挙演説も、論文コンテストも、接客も、電話応対も、営業も…

どれもそつなくこなせたが、どれもやりたくてやったことじゃなかった。

こう言えばおもしろくない思いを持たれる方もいるかもしれないが、実際にはそうやって…

「外側」と「内側」のギャップがぼくを苦しめていたのは、紛れもない事実だった。

そして、心身を壊すまで、ぼくはその事実を自覚できていなかったのだ。

だって、「あいつはそれが得意」なんだから。


でも、人生を送っていると色んな機会が巡ってくるもので。

あることがきっかけで「バンド活動をしよう」となって。

プライベートでバンドを立ち上げて…

人を募って…

組んで…

練習して…

作曲して…

人前でライブをやったときには…

これまたおそらく、ぼくの「得意」だった部分が存分に生かされた。

人をつなぐ、クリエイティブする、人前でやる…

どれもがガチッとハマった。

そしてそれは、ぼくが「やりたい」という気持ちで始めたものだった。

はじめて、「得意」と「やりたい」が一致した体験だったように思う。


そこからほどなくしてバンドは休止となり、オフィス秋晴れの活動につながっていくわけだが、今となっては…

文章を発信したり…

音声を発信したり…

動画を発信したり…

コミュニティをつくって運営したり…

人前でオンライン講座なんかをやったりしている。

これは恐らく、ぼくの「得意」な分野であり、尚且つ心から「やりたい」と思えていることだ。

「外側」と「内側」のギャップがとても少ない状態。

これが今の自分の心地よさにつながっている気がする。

ある意味では、「求められたことをやる」というスタンスは変わっていないかもしれないが…

「その時に自分の心は何と言っているか?」

を必ず、自分に問うようになったことが一番の大きな変化だ。

今は、絶対にそれに従う。

だから、どんなに体力的にハードになっても…

辛くならない。

言われるがままに、求められるままに動いて生きてきた人生は、今思うと…

「あれは誰の人生だったんだろう?」

とふと思うこともあるが、それがあって現在があることを思えば、それもまた必要な時間だったのかもしれない。


ぼくはもう、国語の教科書は音読しない。

でも、自分が書いた、伝えたい気持ちが詰まった文章は、自らの口で発していこうと思う。

本番直前までガクガクブルブルなのは、今も変わらないけれど…

人前に立ってガチッとスイッチが入ると、不思議な高揚感の中、ぼくはやれると感じている。

今度のぼくは、決して2位じゃ終われないのだ。


▶︎あとがき


…な〜んて、いつもとは違う調子でエッセイ風に書いてみました😆

昔話を書こうと決めてから色々振り返ってたら、あれやこれやと思い出してきて…

まだまだ書きたいことの半分も書けていない気もするのですが、今回はここまでにします。


「外側」と「内側」のギャップを小さくしていくこと。

そのために自分の心の声を無視しないこと。


これが一番伝えたいことです。

ぼくは運良く苦しい状態を脱することができたので、この経験をたくさんの人に伝えていこうと思います☺️

引き続き、お付き合いのほどよろしくお願いします。では今日もぼちぼちやってまいります✨


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…こんな感じで日々、メンバーさんに記事をお届けしています。
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