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心のコップの話

僕の考えの中に、心のコップの話がある。

「自分の心のコップからあふれた水でしか、
  他人の心のコップを満たすことはできない」

この言葉に出会ってから価値観が変わった。
そして幸せについて考えることが増えた。

自分は無力

コップの話に出会ったのは僕が大学2年生の6月23日だ。
この日、沖縄は慰霊の日。
沖縄戦で犠牲になった方達に想いを馳せる日だ。

僕は自分なりに世界が平和になるために自分には何ができるのか考えた。
紙にも書き出してみた。

でも、大したことは書けなかった。

知識をつけるために勉強することくらいしか、
今の自分にはできることが見つからなかった。

絶望した。
こんなにも自分は無力なのかと。
こんなにも自分には何もできないのかと。

自分の情けなさに絶望し、涙した。

自分の生きる価値は何なんだとわからなくなった。
何かにすがりたくて、
何かに救ってほしくて、
必死に何かを探した。

なぜだか分からないが、当時よく見ていた「マコなり社長」という発信者の過去のブログ記事に辿り着いた。
そこに心のコップの話が書いてあった。

「自分の心のコップからあふれた水でしか、
  他人の心のコップを満たすことはできない」

この言葉を見たとき、ハッとした。
「これだ」と思った。

誰かを幸せにしたいと思うなら、
まずは自分が幸せにならないといけない。
自分が幸せになってそれでも余っているものを分かち合えばいい。

そう思ったら心が楽になった。
人のために自分が犠牲になる必要なんてない。
むしろ自分が満たされるからこそ他の人を幸せにできる。

自分が楽しく生きることを考えていいんだ。

僕は救われた。

どん底まで落ちて、頂点まで上がってくる。
そんなジェットコースターみたいな感情を味わったこの日は、
僕にとって忘れられない1日になった。

コップの話が書いてあるマコなり社長のブログはこちら。


最速で心のコップの水をあふれさせる

「まずは自分から」だと学んだ僕が考えたことは、
どうやったら最速で心のコップの水をあふれさせられるか?だった。

自分が早く満たされたら、その分早く他の人を幸せにできる。

そこで考えたのは、
コップの大きさを最小にすることと、注ぐ水を最大にすることだった。

コップの水が満タン=幸せ とするなら、
コップの大きさは幸せを感じる基準で、
コップが満タンになったら幸せと感じれる。
注がれる水は幸せになる要素。

コップの大きさを最小にするってことは 、注がれた水一滴で満タンになることで、 ほんの些細なプラスの出来事で満たされた、幸せだと思える状態。

注ぐ水を最大にするってことは、 この世に起こる全てのことを自分にとってプラスに捉え、幸せの要素にしてしまうこと。

例えば、雨が降っていたとしても、
雨が降っていることに気づけた!嬉しい!と思えたり、
雨が降るおかけで植物が育つな、雨ありがとうと思えれば、
「雨が降る」という出来事だけで幸せになれる。

もっといえば、今命があって、ここに存在している。
それだけで幸せを感じられればコップも最小で注ぐ水も最大ということ。

「在る」に目を向ければ今この瞬間から幸せになれる。
自分の在るに目を向ければ、心は常に満たされ、豊かな心になれる。

自分にはたくさん在るからこれ以上は必要ない。
それなら他の人に分けよう、と自然に考えられるようになる。

もちろん、これは理想論だし、すぐに達成するのは難しい。
でも僕はこの考えをするようになってから生きるのがすごく楽になったし、
日々満たされたと感じることが確実に増えた。

在るを書き出す

満たされる方法として、在るを書き出すことを強くお勧めする。
僕は約1年、毎朝紙に自分に在るものを書いていた。

命がある、食べ物がある、生きるお金がある、
大学に行ける環境がある、住む場所がある….など

この環境が当たり前じゃないんだと感じることで、
感謝の心が出てくるし、満たされた感覚にもなる。

日常を過ごしているとつい在ることに目を向けるのを忘れてしまうが、
少なくとも在るを書き出す朝の時間だけは満たされることができた。

どんなに落ち込んで生きるのが嫌になったとしても、
この朝の時間が来れば、満たされた自分に帰ることができた。

「在る」の力はすごい。
考えるだけで、すぐに心を満たせる。

僕はあの日、自分の無力さに絶望したおかげで在るに目を向けれるようになって、満たしたいときにはいつでも自分を満たせるようになった。
あのときの自分の絶望に感謝だ。

あなたにも「在る」の力が届きますように。



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