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死にたかった時期

死にたい。

小学校5年生の頃、死にたかった。自殺したかった。

人間はいつかどうせ死ぬのになぜ一生懸命生きるのだろう。
生きてるだけでこんなに苦しいのに、辛いのに。
いつか終わるのなら今すぐ終わらせてしまいたい。

将来のことも考えたくない。
不安でいっぱいのこの生きる世界から早く逃げ出したい。
そう思ってた。

死にたい。自殺したい。
飛び降りることを何度も考えた。

でもできなかった。
勇気がなかったから。

自分では死ねないとわかったから、誰か殺してくれと思った。
通り魔的に誰か刺し殺してくれと。
もしくは道路に飛び出して車に轢かれてしまおうかと。

日本は平和だ。
そんなことはそうそう起きない。
とりあえず死ななかった。
生きていた。

死にたいけど、勇気がないと死ねないことがわかった。
とりあえず生きることにした。
死にたいという思いを抱えながら。

人付き合いが最悪に下手になった。
感情を表に出せなくなった。
特に嬉しい、楽しいというプラスの感情を。

笑顔が減った。
「笑わないね」と同級生に言われた。
もっと笑顔が減った。

ほんとは構ってほしいけど、感情を出せないからうまく言えない。
次第に人に強い言葉を言うようになった。
中学2年生、部活でのあだ名は、毒舌だからという理由で「有吉」になった
人を傷つけることで自分が傷つかないように守っていた。

人を信用しなくなった。
人間関係はうわべだけを取り繕ってそつなくこなそうとしていた。
仲の良い人はいたけど、相手がどう思っているかわからないから「友達」なんて言葉は口が裂けても言えなかった。
「友達」という単語は自分の中から消した。
代わりに「知り合い」という言葉を使うようになった。

皮肉なもので、人間関係は最悪でも学校の基準では大人しい、真面目な優等生となる。偽物の人間関係。自分の居場所なんてなかった。

給食が休みでお弁当の日がたまにあったが、一緒に食べる相手をどうしようかと前日から頭がいっぱいだった。本当の意味でも友達はいなかったから。
お昼ご飯抜きで良いから逃げ出したいくらいだった。

お昼ご飯の時間をみんなで揃えることが嫌になった。
お腹が空いたら食べればいいのに、なぜ12時に食べなくてはいけないのだ。

「お弁当」という言葉が嫌いになった。
みんながよく使っているお弁当を入れる手提げを見ると鳥肌が立つようになった。一緒に食べる相手がいない孤独感を連想させるからだ。
これは今も残っている。

嫌だった。
生きているのが嫌だった。
生きている価値が見出せなかった。

とにかく孤独だった
寂しかった。
なんで存在しているのかわからなかった。

死にたかった。
この世界から消えたかった。
存在を消したかった。

それでも生きるしかなかった。
だって死ぬ勇気がないから。

勇気がないなら生きるしかない。
じゃあこれからどうするか。
変わるしかない。
楽しく生きれるように変わるしかない。

でもどうすれば良いかわからなかった。

中学3年生の終わり頃、
他のクラスの男子生徒と知り合った。

当時、僕は学校に朝早く行っていた。
学校の靴箱前の扉が開く前だったので、靴箱前で待つことになる。
他にも待っている生徒はいて、彼はそのひとりだった。

いつしか彼と話すようになった。
朝の靴箱前での仲だ。
いつものごとく上っ面だが。

ある日の下校時間。
その彼と廊下ですれ違った。
僕は知っている人と廊下ですれ違うとき、どう対応したら良いかわからず、いつも気まずい思いをしていた。

このときもそうだ。
どうしたら良いのだろうと考えてた。
でも、彼は声をかけてくれた「おつかれ。」と。

今思えば中学3年生が「おつかれ」なんておじさんくさいが、
当時の自分には嬉しかった。

そして気づきがあった。
人とすれ違うときは挨拶をするものなのだと。
挨拶とは最小限の会話で関係を維持できるものなのだと。

これは大きな気づきだった。
人付き合いが最悪な僕にまず必要なこと。
それは挨拶だった。

よし、これからは挨拶をしようと心に決め、
中学生の間はできなかったけど、
高校からは挨拶だけはするようにした。

他にも改善したことはあるが、
挨拶が特に大きかった。

少しだけ、生きるのが楽になった。

そして、死ぬことではなく、
どう生きるかを考えるようになったことで、
死にたい願望は少しずつなくなっていった。


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