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情報リテラシーってなんだろうね

corp-engr 情シスSlack(コーポレートエンジニア x 情シス) Advent Calendar 2020#3 の10日目の記事です。

どうもbarusuです。知らない方は初めまして。
いつもお世話になっている情シスSlackのAdvent Calendar#3にて記事を寄稿させていただきます。

情シスSlackについてはyokoyamaさんのNoteをご確認あそばせ。

あ、そうそう。
あの世界の吉田さんと共同執筆で本も出したみたいですね。(ステマ)
とても良い本ですのでぜひどうぞ!(ダイマ)

ITリテラシー大事よね。
2020年はコロナ禍ということもあり、情シスにスポットが当たる機会が多かったようにも思いますわね。
「いきなり情シスを任された!!」
「何したら良いんだろう...」
なんて方には↑の本を読むと救われると思います。(ダイマ)

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さあ、今日私がお話するのは情報リテラシーについてです。
馬なりに考えたことをつらつらと書いていこうかと思いますゆえ、どうか最後までお付き合いくだされば光栄でございます。
ひひーん。

情報リテラシーについて考える

リテラシーとは

なんでしょうね。
Wikiにはこう書かれてます。

リテラシー(英: literacy)とは、原義では「読解記述力」を指し、転じて現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」という意味に使われるようになり(後述)、日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。 ちなみに、古典的には「書き言葉を正しく読んだり書いたりできる能力」と言う限定的に用いられる時代もあった。
--Wikipediaより抜粋

熟練度スキルレベルとかが類義ですかね。
使いこなす力って感じですな。
情報リテラシーが低い/高いというのは、

情報をインプットし、アウトプットする力の多寡 = 情報リテラシーの高低

と言えそうです。

今と昔

現代では高度情報化社会なんて言われてますね。
やれTwitterだ、Facebookだ、Tik tokだ、Instagram、Google...
えとせとら、えとせとら。

いやーとにかく情報量が多いですよね。もはや全部なんて追ってられない。
コーポレートエンジニアのお仕事もそうです。

「あーWindowsUpdateがー」
「あーGoogleが値上げするー」
「あーMacOSが新しくなるー」
「あー新しいSaaSが出てきてるー」

地獄かな?

どう考えても情報量多いですね。
では昔はどうだったんでしょうかね?
こんな図があります。

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これは世界全体の情報記憶総量の推移グラフです。
指数関数的に増えてますね。単位はZBです。
ギガよりも大きいテラよりも大きいペタよりも大きいエクサよりも大きいゼタです。

情報量増=情報リテラシー向上?

この数十年で、飛び交う情報がすっごく増えました。
となると、情報の奔流に晒され続けている我々の情報リテラシーもすっごく高まったのか?

ーーーー違いますよね。
これだけ世界にたくさんの情報が溢れていたとしても、絶えず我々はなにかの情報を収集してますよね。
Googleがあるからといって、リサーチ会社が軒並み潰れているわけでもないし、それはなぜでしょうか。

馬なりに考えてみました。

情報リテラシーの正体

情報量が多くなっても、適切な情報を得るのが楽になるわけではないということですな。

いや、むしろ大変になる。選ばなければならないから。
かといって、少な過ぎても駄目。

翻って、情報リテラシーとはなにか。
冒頭では情報をインプットし、アウトプットする力の多寡と置きました。

現代では情報が溢れています。
なんでもかんでも片っ端からインプットしてどうこうできるものでもなさそうです。

つまりは、情報リテラシーというものは

1に、情報を収集する力。
2に、情報を取捨選択する力。
3に、情報を伝える力。

この3つで構成されているんじゃないでしょうか。

以下、それぞれの力について、馬なりの考えを記載します。

情報を収集する力

情報収集するとき、必ず「問題意識」があります。
解決したい問題がある、または未知の問題を発見するため、などなど。

なんのために情報を収集するのか?を明確にしておけば、手段が目的に置き換わることも回避しやすくなります。
日常では「ただなんとなく~」で情報収集することもありますが、それも結局は自分の抱えている課題に関連する情報が多くなるのです。

問題意識があって情報収集という行動が起こるのだと、馬は考えました。

「どのような問題が起きているのか?」を明確に定義できれば、情報収集の精度を上げることができます。
これは、情報を取捨選択するときにも影響する重要なファクターとなりますね。

情報を取捨選択する力

収集した情報が問題解決に役立つのか、無駄なものなのかの判断が必要です。
あたりまえな話ですね。
また、無駄に思えた知識が役に立った!というのも往々にしてあるのが人生というものですが、問題に対して有益か否かの判断は別で必要です。
これに関しては経験則が強いかと考えます。
馬は割と感覚派なので、取捨選択の判断軸については言語化ができずにおります。
論理を作るときや、こういった記事を書くときには頭の中に水路を作り、水を流してみて、勢いが強過ぎやしないか?とか漏れてないか?とか考えてます。

また余談ですが、人間が一日に判断している回数は35000、という記事もありますね。
そんなに判断している自覚はないんですけど、どうりで疲れるわけだなと納得する部分もありますね。


...はい!!
今書いた余談の部分は不要な情報ですね。

「今の情報要る?」と思った方は情報リテラシー高いかもしれません。しらんけど。

人間が判断している回数35000という情報は、本題の情報リテラシーに関連がないので削った方が望ましいです。
取捨選択するとはこういうことかな?と思いあえて記載しました。
言い訳じゃないですよ。

情報を伝える力

これが最も難しいです。
これがきちんと伝えられるなら本に書いて売りますわ。きっとベストセラー間違いなし。

馬なりに気をつけていることは以下の3つです。

・シンプルに伝える
・誤解の余地を残さない
・ある程度は諦める

そもそも、人間の認知というのは非常に曖昧で、証明が難しいもんです。
壊れるほど愛しても1/3も伝わらないのが普通です。
↓の絵、どう見えますか?
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奥を見ている女性 or 横を向いているおばあさん に見えますでしょ?

見る側の解釈で二通りの絵になるのです。
そんなんもうどうやったって無理やん。諦めましょ。
自分が意図していない解釈をされた場合は
「へぇ~そう感じたんですね~」で良いんです。
意図しない伝わり方をしたのはなぜか、あとで反省すれば良いんです。

さてもう一つ。
↓の絵、どう見えますか?

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馬にしか見えないと思います。

ではこれは?

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カエルですね。

一枚の絵でも、回転させると見え方が変わります。

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そう、一つの情報から二つの解釈ができてしまうんですね。
作者はもしかしたらただ普通に馬を書いただけだったかもしれないのに。
これはなかなかよろしくない。

情報を他者に伝えるとき、大切なこととは

解釈に委ねる余地をなくして、シンプルに伝えること

なのです。

まとめ

1に、情報を収集する力。
2に、情報を取捨選択する力。
3に、情報を伝える力。


情報リテラシーを構成するこの3つの要素について、馬なりに考えたことを書かせていただきました。

いきなり無準備で書いてしまったのでところどころアラがありますが、何卒ご容赦。

ともあれ、馬が言いたかったことは

情報リテラシーってなんだろうね?

ということです。情報リテラシー何もわからん。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

なにか残るものがあれば幸いです。

以上

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