見出し画像

待ってる

「お墓参りに行かなくちゃ」と言う妻に対して僕は「そっか、まぁ、じゃあ、今度ね」と曖昧に返事をしたけれど、日が経つにつれて、なにがなんでも行かなければという脅迫めいた気持ちが増してきた。それというのも妻が「おじいちゃんきっと待ってるよ」と言うからだった。

米屋だった祖父。母から嫌われていた祖父。父からも実は嫌われていた祖父。でも孫には好かれていた祖父。まさか死ぬなんて思いもせずに検査入院したとたん、癌であっさりと死んでしまった祖父。

実家近くの小高い丘の上の霊園に一族の墓がある。入っているのはまだ祖父と祖母の二人だけ。まず祖母が死に、祖父が墓を建てた。その十五年後祖父が死に、自分もそこに収まった。いずれ僕たち夫婦も入ることになる墓に僕たちは二年行っていなかった。

五年前に祖父が死んだとき両親は、遺産を放棄する代わりに、自由を手に入れた。家を父の弟である叔父に譲り自分たちは隣街にマンションを買った。遺産で揉めなかったのは家族仲が良かったからではなく、双方の利害が一致したからだった。両親はどうせ壊さなくてはいけなくなる家をタダで厄介払いできた。叔父は厄介事を引き受ける代わりに家と商売を受け継いだ。

僕は育った家を失った。

地元に帰るのは二年ぶりだった。両親の住むマンションは他人の家という感じがして落ち着けなかった。

僕と妻は父から車を借りて墓参りに行った。「おじいちゃん待ってるよ」と妻が助手席で言った。

育った街は少しずつ形を変えていた。蛇がのたくったような細い道路は片側二車線の幹線道路になった。見たことのない商業施設ができていた。本屋が潰れた。食堂が建物ごとなくなった。通学路沿いにあった誰かの家もなくなっていた。

霊園にも変化があった。最後に来たときと比べて墓が増えていた。夏の日差しに照り輝く御影石の墓石群が静かに佇んでいた。

我が家の墓は変わりなかった。祖父と祖母がそこいるという実感はない。

懐かしさから店を訪ねてみた。叔父はいなかった。でも、店の中に動く気配があった。

中を覗くと祖父が米を運んでいた。五キロの袋を二つ重ねて配送用のダンボールに詰めていた。僕と妻は店の戸口に棒立ちになってその様子を眺めた。

腰を屈めていた祖父が体を起こしたとき、僕は祖父が振り返ると思った。僕は咄嗟に窓から離れて壁に張り付いた。妻はもう車の方に歩き出していた。僕は妻を追った。そして振り向かずに車に乗り発進させた。店のドアが開いた気がした。一度だけバックミラーを見た。店の前には誰もいなかった。店はすぐに見えなくなった。

生前の祖父はぴんしゃんしていた。さっきの祖父もぴんぴん動いていた。

「おじいちゃんやっぱ待ってたね」しばらくして妻が言った。「あの米、どこに送るんだろう」

「米送って」と言えばすぐ送ってくれる祖父だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?