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Blue color job 日常

日本語 連載 その1

2002年 僕は加州で平凡な労働者だった。

仕事はヴァカビルという街から砂漠のようなバックロードを延々と30分走らせところにある、アメリカ有数の巨大空軍基地。トラビスエアフォースベース。

バカビルフォードで購入した赤のフォーカスセダンの助手席には茶色い紙袋、その中にはサンドイッチとポテトチップ、カルフォルニア産の小さなリンゴ1個がお昼用に入っていた。

DGMC


ユニホームは基地内で働くシビリアン(一般市民)示すライトグレイのシャツとダークグレイのスラックス、襟元には愛国心を示すパトリオットイーグルのバッチと星条旗バッチを付けていた。

あの忌まわしい9.11がおきて間もない時期なので、国内全体排他的とも言えるパトリオット精神が至る所でひるがえっていたから、東洋人の僕はその意思表示としてとても大切なピンバッチだった。

Travis AFB ID 


仕事は基地内の医療センターでのメンテナンス業務とハウスキーピング業務、患者のベッド環境を整えたり、病室の主にリネンを交換したりと看護補助的業務がほとんどであったが、たまに看護スタッフから日系患者への通訳を頼まれることもあった。

Medical center ID


夜勤では軍事施設の幹部クラスのオフイスや、医療軍事機関の研究施設の清掃業務も契約していたので、枯葉剤副作用で生まれた奇形児のホルマリン漬け等、悍ましく興味深いものが目前に見られ、毎回楽しみだった。

最も楽しみだったのは幹部クラスのオフィスで、業務をしていると、オフイスを使用している軍幹部の方が、気さくに話しかけてくる。
なぜだかわからないが僕が日本人だと知るとかなりの確率で話しかけてくる。
まあ社交辞令だと思うが、沖縄の基地の話し、第二次大戦の大和魂。特に日本の軍人の優秀さを話す方が多いように思えた。

僕が実際の年齢より若く見えるせいで、ソーダやチョコレート等挙句にはピザまで食べていけと勧められる、郷に従い遠慮なく貰っていた。

J&J staff room

僕はそんな仕事でも、月1500ドルくらいは軽く稼いでいた。

まじめに働けば働くほど、好きな曜日、ポジジョンで働くプライオリティーが上がり給料が上がる仕組みだ。

とてもシンプル。面倒な人事評価等ない。

実際にクオリティーの高い仕事を指示通りこなせるスタッフが全てに休暇、賃金、に優先的に反映される仕組みなので、言葉の壁が少々ある僕でも難なくプライオリティーを手に入れることが出来たのだ。

自分の名前がホワイトボードの上位にあがって行くのを見るのは快感で、さすが巨大企業の軍事メンテナンス会社J&Jコーポレーション、徹底した平等性には感服したものだ。

僕はそこで平凡なアメリカ労働者を経験した。

なんとも充実感のある日々、タイムカードは時間前に並び1分でも残業しないのがアメリカ流、1分でもオーバーワークは仕事ができないということでイメージが悪いのだ。

実際、上司の警告無視して、30分オーバーワークを繰り返して首になったケースも過去にあるほどだ。

カルフォルニアの日没は遅く、帰途スーパーマーケットのラルフに買い物して帰宅して、愛犬を連れて公園に散歩に行ってから、余裕で自宅のポーチで日光浴しながら缶ビールを啜ることもできるのが日本と大違いだった。
https://www.travis.af.mil/Units/Fact-Sheets/Article/855991/david-grant-usaf-medical-center/

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