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バースデイ 2020

今年もひとつ歳をとった。44。ゾロ目である。

挨拶する側からされる側へ回ってしまったなあ、と思ったのは幾つになった時だったか。
今でもそうだけど挨拶「する側」の方が精神的に楽だ。「される側」というのはいまいち座り心地が良くない。

これは学生時代に部活もやらず、社会に出ても自分のあとに下が入ってくるような場で仕事をしていなかったせいで、そういう状況における立ち居振る舞いがよくわかっていないことに起因するのだろう。
集団行動はおろか人付き合いを好まないというのを理由に避けてきた部分を今更ながらにやっておくべきだったと思い知らされている。後悔先に立たず。

年齢というのは本人の気持ちや思惑に関係なく、その立場を押し上げるものだ。
押し上げついでに振る舞いや言動も相応に勝手になってくれればなあ、と思うけど残念ながらそうはならない。能動的に学ばないと”歳だけとった、伴わない残念な人”となってしまう。
毎年、バースデイ周辺は年齢と釣り合いが取れているのかを自分に問い直す良い期間。

そして、これくらいの歳になってくると“顔は履歴書”という言葉が間違っていないのだな、と思わされる。
知性や品性、その他多くの事が顔に出てくるような気がするのは僕だけじゃないはずだ。

とは言え、鏡の前に立ち、自分の姿を見てもあまり変化は感じない。
見慣れた自分を眺めて微細な変化が分かるなら苦労はしないし、逆にこの歳で自ら気づくほど外見が変化しているのならあまり良い報せではない気がする。
そう、四十も半ばに差し掛かると「何事もなく順調が一番」というのも理解できてくる。
要するに保守的・安定的な方向へ無意識に向かっているのだけど、思考的にも技術的にも進化・発展よりも円熟・安定の段階へ進む方が大多数なのだから他方面でもそうなって当然なのだろう。

「開店当初に比べてお前も円くなったよな」

とはいつだったか、同業者に言われた言葉。
これも当たり前だけど自分ではわからない。
周りから見てそう見えるならそうなのかも知れない。なったつもりは毛頭無いが、変化というのはそういうものなんだろう。
見た目や当たりが円くなろうとも、実の部分は切れるように日々研いでおきたい。
実まで円くなって鈍にならないようにまた1年、粛々と生きていきたいものである。

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