なぜ音楽がアジアになってしまって、僕の絵が日本のマンガになるのか

トルコのポップ・ミュージックを色々と聞いてたら、「アラベスク」という大衆音楽のジャンルがあるらしくて、こんな感じなんですね。

なんかすごく「演歌」ですよね。トルコってあんなに遠くて、あんなにみんなヨーロッパ人の顔をしているのに、やっぱりすごく「アジア」なんだなあと思いました。

この「どうしても出てきてしまうアジア的な感覚」っていうのに僕はすごく興味がありまして、例えば自分たちとしてはおもいっきり「ロック」や「ヒップホップ」をやっているつもりでも、確実に「アジア的な要素」って紛れ込んでいるんです。

例えばチューリップというバンドがありまして、おそらくビートルズに大きく影響を受けた日本製ロックを演奏しているのですが、やはりすごく「アジア的」なんです。

これ、どうしてなんでしょうね。小さい頃に盆踊りを踊ったり、浪曲を歌ったりしたわけでもないのに、どうしてこんなに色濃くアジアが出てしまうのでしょう。

日本語を喋っているということに何か関係があるのでしょうか。

そして僕にとってこの「アジア的な感覚」ってとても心地よいというのもどうしてなのかすごく気になります。

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ところで、僕、毎日、絵を描いて、インスタグラムにアップしているんですね。 https://www.instagram.com/barbossahayashi/

もう、僕の絵、ほんと下手なのですが、まあとにかく毎日、絵を描いて、それを発表するのが楽しくて楽しくてしょうがないんです。

ちなみに絵を描く際に「ルール」のようなものを決めていまして、出来るだけ「自分らしい絵」を描こう、誰かの物まねのような絵を描くのはやめようと決めているんです。

で、まあ色々と描いてきて、「人の顔を描く」という壁にぶつかってしまったんです。

これ、おそらくみんなこの壁にぶつかるんだと思います。

とにかく人の「目」と「鼻(特に鼻の穴)」と「口(特に唇)」を描くのって難しいんです。

で、先日、田口犬男の『モー将軍』という詩集の表紙を描いてみたんです。

僕の絵が下手なのはさておき、僕の絵の顔の部分を見ていただけますか。

僕、今まで一回も「マンガ」って描いたことないのに、なぜか僕が描く絵が「日本のマンガみたい」なんです。

これは僕が日本に住んでいて、小さい頃からずっと日本のマンガに親しんでいるからなのでしょうか。

この感覚って、日本のポップミュージックにどうしても紛れ込む「アジア的感覚」と同じように、今、日本人が絵を描くと「マンガ」になってしまうのでしょうか。

逆に、僕がアメリカで育つと「スヌーピーみたいな絵」をついつい描いてしまうのでしょうか。

出来る限り誰にも影響を受けていない「オリジナルなもの」を表現しようと思っていても、結局は「土着的な感覚」に僕たちは縛り付けられているのでしょうか。

ということを考えている47歳の初夏です。 

#コラム

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この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。今日は「お花をもらった」です。

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