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マガジンハウスが好きだから、ネットでも活躍してほしい

バーのカウンターって、初めて会ったお客様同士が会話をすることがあるんですね。そんなとき「どういう話題にすれば、その場所にいるみんなが楽しめるのか」というのが重要でして、長年マスターをやっている僕としても、「みんなが話せて楽しめる話題」っていうものを常に考えています。

でも最近はご存じのように、とにかくみなさんの趣味が「細分化」されていて、僕がバーテンダーを始めた25年も前は映画やテレビや音楽の話で色々と盛り上がれたのですが、最近は「みんなが知っている話題」っていうのが本当に少なくなってきました。

みんなが盛り上がれる話題って、最近近所にできた美味しいお店のような「飲食ネタ」だったり、あるいは婚活してるんですよ的な「恋愛ネタ」だったり、意外と少ないんです。

それである日、思いついた「ゲーム」がありまして、「もし、あなたが、あのお店やあの会社をもらえるとしたら、どのお店? どの会社?」というものです。

これはですね、すごくその人が出るんです。「え? どうしてその会社?」っていうのが出てくるんです。

男性でよくあるのは、ホンダとかソニーのような会社をもらって、「この会社、本当はこういう風な物作りをしていけば良いと思うんだよね」というような、「経営者やコンサルティングのような視点」で会社を見る場合とか、ブルーノートやECMのような音楽レーベルをもらって、昔の音源を発掘したり、新しいアーティストを紹介したりしたいというような「自分の趣味の延長線上の夢」を語ることもあります。

女性はお店を言いがちです。「新宿伊勢丹が欲しいなあ」とか、好きなレストランの名前を言ったりとかします。伊勢丹もらってどうするんだろうって思いますよね。伊勢丹をもらったら、伊勢丹の中のモノは全部「自分のモノ」だと思ってるんですよね。うん、それ、ファッション好きの女性はすごく楽しいのでしょう。レストランが欲しいっていう場合は、そのレストランのパトロンのマダムみたいな立ち位置が良いようです。「料理はもっと繊細にしない?」とか「入り口にもっとお花を」とかって感じで、自分が好きなレストランに「関与」したいようです。なんとなくわかりますよね。

それでですね、「じゃあ林さんはどのお店、どの会社が欲しいですか?」って聞かれるんですね。

僕はですね、マガジンハウスが欲しいです。

昔、オリーブというお洒落な都会のティーン女子向けの雑誌があって、僕、10代後半の頃に好きで好きで、毎号買って、特に双子のモデルの女の子が大好きで、切り抜いてコラージュしてました。

当時、銀色夏生の詩集を買い集めたり、クレプスキュールやエルといったヨーロッパのネオアコースティック音楽を聴いたりするのにはまって、その文化の教科書的存在が「オリーブ」だったんです。

その後、僕はオリーブを卒業し、大人になってブルータスを読むようになりました。今、韓国人のジノンさんという男性と「往復書簡ブログ」をやっているのですが、ジノンさんはブルータスを定期購読しているそうなんですね。「ブルータスを毎号全部チェックすれば、東京の流行は把握できる」そうなんです。

1993年、ブルータスのボサノヴァ特集が出ました。当時、僕は、いずれはボサノヴァがかかるバーをやるつもりで、都内のブラジルレストランで働いていて、この号が出たときには、「やっぱり来た。ボサノヴァはいける」と確信しました。この号は永久保存版でして、後にこの号を担当した名編集者、岡本仁さんの名前を知ることになります。

1997年に、僕が渋谷でbar bossaを開店してからは、マガジンハウスの方がたくさん毎日のように来店してくれるようになりました。あんなに遠かった存在のマガジンハウスが僕の店でワインを飲んでくれて「領収書をマガジンハウスで」って言ってくれるんです。

後のカフェブームの先駆けとなったカフェ・ヴィヴモンディモンシュの堀内さんが、ある日、bar bossaのカウンターで「林さん、岡本仁さんです」と紹介してくれました。僕、有名人ってそんなに緊張しないのですが、岡本さんってなぜかすごく緊張するんです。正直今でも緊張します。でも「あのボサノヴァ特集すごく良かったです」ということだけは伝えられました。

ハナコのことも書かせてください。昔、お店情報って雑誌しかなかったんです。例えば、ハナコの渋谷特集で、bar bossaが掲載されますよね。そしたらハナコの発売日の夜の開店時間と同時に、ずーっと毎日毎日、1ヶ月や2ヶ月も「ハナコを見て来店してくれたお客様」でお店はずっと満席なんです。

若い方、信じられないですよね。例えば「渋谷特集」が出ると、その号はずっと渋谷の本屋のレジ前で平積みです。「渋谷でデートしようか」となると、今だと「検索」ですが、当時は本屋でハナコを立ち読みするか買って切り抜いて手帳に挟んだりしてたんです。だからもう「ハナコを見たお客様」がずっと続くわけです。bar bossaの「ハナコ効果」、今頭の中で計算したのですが何千万円もあったと思います。

そして僕が「書く仕事」を始めだした時に、カーサ・ブルータスの当時副編集長だった白井良邦さんから、bar bossaのカウンターで「林さん、今度、うちブラジル特集なんですけど、ボサノヴァのこと書きません?」と声がかかりました。ちなみにこの白井さん、その業界では有名人でして、村上春樹のエッセイに安西水丸さんのイラストで登場します。

マガジンハウスで、あのカーサブルータスで、(確か)10ページも担当させてくれるなんて、オリーブを切り抜いていた頃の僕に教えてあげたいくらいです。

その頃、僕はすでに色んなところで「書く仕事」はしていたのですが、マガジンハウスの担当編集者内田有佳さんの仕事の進め具合の優秀さには本当に驚きました。内田さんは「白井に言われたとおりにやってるだけです」って言うし、白井さんは「うちのやり方なだけです」と言うので、やっぱりマガジンハウスはすごいとため息をつきました。

マガジンハウスってやっぱり今の東京を作ったと思うんですね。もしマガジンハウスがなかったら、たぶんもっとアメリカナイズされた違う表情の東京になってたと本気で思います。

で、ですね。僕がマガジンハウスをもらったら、「マガジンハウスのネット展開」を大々的にやります。今、実際にマガジンハウスの色んな人たちに「ネットやらないんですか?」って聞いてるんですけど、みなさん「うーん…、もちろんやった方が良いんですけど、うちの上の方がそういう意識がないんですよね」とか「例えばジャニーズの権利をどうしようかとかっていうのが難しいんですよね」って感じの消極的な答えなんです。

もちろん「紙だけ」にこだわるのも良いかもしれないです。でも、若い人たちにとって今は、「ネットの中になければ、それはないことに近い」ですよね。

今でもたまにマガジンハウスの雑誌を読んで、「うわあ、取材力がすごい。企画も面白い。こんな良い記事、ネットにはない。出来ればネットで検索して、この記事が上の方に出てきたら、みんなのTLに流れたら、あのキラキラしていた東京がまた戻ってくるのに」って思うことがあるんです。

ネットに、例えばこのnoteに、マガジンハウス来て欲しいです!

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このnoteは、LINE証券と開催する「 #わたしが応援する会社 」コンテストの参考作品として、主催者の依頼により書いたものです。
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