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悶々とした一週間

物理的な時間はたくさんあった。

でも、なかなか文章を書くことができなかったのは、精神的な時間が不足していたからだ。

脳内に、いささか処理に困る七面倒な問題が常時4〜5個あって、どうやって解決しようかと思案しているうちに、どうでもよくなっていしまい、全てを投げ出してどこか遠くに逃避したい衝動に駆られる。

だけれど、「いや、でもなんとか解決策を練らなければ!」という日本人らしい粘り強さを発揮して冒頭に状態に戻るも、やはり解決の糸口は見えずにどうでもよくなる。という悪循環に翻弄された1週間だった。

厄介なことに、それぞれカテゴリーの違うこの問題達は、未だ解決に至っていない。それでも、今こうやって文章を書けているのは、時間の経過と共に問題あるこの状態にある種の「慣れ」が生じてきたのと、住んでいるベトナムの空気が「どうせ悩んでも解決しないんだから放っておけばいい」と言っているような気がして、問題ある状況は変わらずも、心持ちは少し上向きになってきたからだ。

「問題は解決するもの、すべきもの」今まで僕は、そういった概念に囚われすぎていたのかもしれない。問題とは解決するものではなく、上手く付き合うもの。久しぶりに晴れ間が覗いたハノイの空の下、バイクの上で器用に昼寝をする現地人の姿を見ていると、悶々としている自分が馬鹿らしくなってきた。

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