見出し画像

日焼け

人の数だけ肌の色がある。

人種の違い、国籍の違い(まあ、これは後付けか)、生活環境の違い、美意識の違い。人種で肌の色をくくると大体同じになるはずだ。それでも、実は一人一人微妙な違いがあるのは当たり前だけれど、普段は全く意識しないのもまた事実。

普段僕らは、○○人は肌が黒い。○○民族は肌がきれいだ。そんな感じで割と抽象的に話すけれど、実際、そんなことはない。白、黒、黄色、そんな3色でくくれる程、僕たちは画一的じゃない。

この夏、外に出る機会が多かった僕は、例年よりも黒くなった。といっても、アジア人の僕がアフリカの人みたいに、ブラックホールに吸い込まれるような美しい黒になれるわけはなく、小麦色がせいぜいだ。

以前住んでいたフィリピンでは、美白効果があるという触れ込みのパパイヤソープがよく売れている。だけれど、それを使ったところで欧米人のような、透明感のある白い肌になるわけはなく、実際にはほんの少しでも効果があれば御の字だろう。旧宗主国のスペイン系以外で、肌の白いフィリピン人を僕は見たことがない。

持って生まれた肌の色を変えることは、人工的な方法を除けば限りなく不可能に近い。視覚的にわかりやすい部分たからこそ、どうしても気になるし、変えたくもなる。

黒にも白にもなれない。僕の持って生まれた肌は黄色。今までの人生で、特に差別も優遇もされてこなかった。そのベースカラーに、今日までの生活週間や住環境なんかが絡んだ結果、僕オリジナルの肌色が完成する。

完成した。ではない。幸か不幸か、あと数十年は生きるだろうから、僕の肌色は現在進行形だ。今後も多少変わる可能性がある。

自分だけのオリジナル。誰もがすでに持っているオリジナル。なにかとクローズアップされがちな民族主義や国粋主義なんかよりも、自分の肌色至上主義とかの方がお茶目で平和的なんじゃないか。誰もが唯一無二のオリジナルだから、グループなんてできないし、みんな良い意味でエゴイストになって、自己肯定感も増して人生楽しくなりそうだけど、どうだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?