3クラスに一人、田舎町に一人

今日本の人口はざっくり1億2000万人。
平均寿命を80歳として、10年ずつの8世代に分けると各世代1500万人。
20歳から40歳までの2世代分は3,000万人。
少子化による分布のばらつきはとりあえず無視する。ざっくりだ。

3000万人のうち、100人に1人程度の「変わり者」を抽出して30万人。
ざっくり3クラスに1人しかいない趣味、関心の持ち主と言えばイメージしやすいだろうか。
そのうち可処分所得の上位半分を取り出して15万人。
この全員にリーチ(情報を提供し得た)したとして、金を支払って作品やサービスを購入するのが、これまたざっくり100人に1人で1500人。この率をCVR(コンバージョンレート)というのだが、一般にECサイトでCVRが1%というのは成績のいいほうである。つまり、100人に1人の変わり者で趣味に金を使える層全員にリーチしたとして、作品やサービスは(地域差を考慮せず日本語圏全体で)1500個売れるのが目一杯なのだ。

「オカルト、たのしい。」を標榜し、北米とヨーロッパに今日まで脈動する現代魔女文化(Witchcraft, Magick)を発信する東京リチュアルの電子書籍は、現在2タイトル合計でざっくり200部売れている。東京リチュアルのツイッターアカウントのフォロワー数、ポッドキャストのリスナー数がともにざっくり1000なので、CVR20%と見れば、かなりエンゲージメント(絆)の強いブランドと言える。しかし、100人に1人の変わり者全員にリーチできている筈もなく、またリーチし得た100人に1人の変わり者たちの全員に関心を持ってもらえている訳でもないので、伸びしろという意味では、まだあるだろう。ちなみにGoogleなどネット広告は現在利用していない。目下のところ、増やそうとも増えるとも思わないからだ。

CVR20%という驚異的なエンゲージメント、その絆こそが東リチュのモチベーションであり、また目的なのだ。妄想してみよう。100人に1人の変わり者の可処分所得上位50%にリーチしてCVR20%が維持されれば、30,000部の電子書籍が売れる筈である。エンゲージメントはリーチに反比例して低下する宿命があるのでCVR10%まで落ちても15,000部だ。商業出版で全然なんとかなるレベルだ。いける!(まぁそうはならないのだが、こうして自らを慰撫しストレスを低減するのもマネジメントの一環である。いける!)

逆に、1000人という数字をどう捉えるか。20-40歳までの3000万人のうち1000人として、3万人に1人の変わり者たちということだ。徳島県某郡某町の人口が25,000人であり、そこで幼少のおれとGORUGOTHはノイズテープをつくり始めたので、まぁ感覚的には妥当な線だ。田舎の町に1人。魔女の数として妙にリアリティのある数字。そういう人たちが、ツイッターで東リチュをフォローし、ポッドキャストを聴いてくれている。

この話の要は、あらゆる人が「町に一人ずつくらいの関心事」を持っている、ということであり、どの人も、少しづつ、極度にマニアック(今の概念でいうオタク的)である、ということだ。あらゆる人のなかにいるブラックメタラーや魔女としての人格が、ネットに繋がり、深くエンゲージするなにかを互いにミラーリングしあっている、それがプロダクトを大量購入する顔のない「マス」ではない、個々人の内にさらに微分されたアテンションを相互に転送しあう微細な「まなざし」としての我々の姿だ。

また、「コスミックトリガー」「TAZ 一時的自律ゾーン」「サイベリア」など、いわゆる「そこらへん」の代表的著作の立ち読みbotのフォロワー数がどれも横並び的にざっくり250くらいで、ここ数年それ以上減りも増えもしない感じだ。「サイケデリック神秘学」は少し群を抜いて450ほどいっている。「サイバー」とか「オカルト」とかより「サイケデリック」は間口が広いワードなのだろう。この250ずつ、というのは示唆的な数字で、東リチュ出版の電子書籍2タイトルの合計販売部数に等しい。統計的な厳密さはないが、数年間データを注視していて、肌感覚としてピンとくる数字だ。

なにがいいたいかというと、100人に1人の変わり者たちは、すごく意識的に自分の好きな作品、アーティスト、シーンを支えていかないと文化経済圏は成立しないし、田舎町に1人の変わり者たちはお互いに情報を発信、ミラーリングしあいながら、真摯なコミュニケーションでエンゲージメントを維持し200個売れたらまぁなんとか、という規模感で継続していくことを覚悟せねばならない、ということだ。オカルトやその周辺的なジャンルでなにかしら発信しようと思う人たちのために、まったく厳密でもなく一般性も乏しい肌感覚数値をここにシェアする。これを読んだ人の肌感覚と照らし合わせた意見も傾聴したく思う。