有名字書きはすげぇと思った話

タイトルにある通り、有名字書きはすげぇと思っただけの独り言。また、そう思うに至った経緯である。
ここにあるのは全て1オタクが独り言として呟いているだけだということを注意してほしい。

私が今楽しんでいるジャンルはもうそれはそれは長く続いており、私はその中でもいわゆる大手と呼ばれるところにいる。作品数も大変多く、日々検索しては喜びに悶えている。しかし全盛期と比べると勢いは落ちているらしい。が、それでもまだ更新は止まらないのだから凄いものだ。

さてそんな中で私は細々と小説を書いていた。私がちまちまと小説を書き、感じたことは 「字書きの新規が増えない」 ということだった。ジャンル自体は有名であるものの、新たに手を伸ばす人はどうやら少ないらしい。小説作品が更新されても知った名前ばかりだ。
実際、歴史が長い故にジャンル内でのコミュニティも相当深く、新規が勝手に邪魔をしてはいけないような雰囲気もあった。
それなのに絵描きの新規は増えているのだから不思議だ。

そこで理由を自分なりに考えてみた。
「新規が増えてほしい」 とか 「もっとこのカプの良さを広めたい」 とか立派な考えは持っていないので 「なぜ私の小説を読む人が少ないのだろう」 という観点から、できるだけ広い視野を持って考えた。

結論としては 「私が有名字書きではないから」 だ。

絵描きが増える理由、それは 「魅力が伝わりやすいから」 なのではないかと思う。その人のイラストや漫画を見ればすぐ、好き/嫌い、合う/合わない がはっきり分かる。

だが小説はどうだろう。その作品が自分に合うかどうかは読まないと分からないし、自分に合ったとしてもその作品だけがたまたま合うだけかもしれない。となると、かなりの時間を費やして自分はこの人の書く話が好きか否かを確かめなければならない。確かにこれは少々面倒だ。読み終わって自分と合わないと分かれば無駄な時間を過ごしてしまうことになるのだから。
これじゃあ新規字書きの小説を読まないのも納得である。
有名字書きには 「この人の書く話は面白い」 という保証があるのだから、わざわざ怪我をするリスクを背負ってまで名前の知らない人間の話を読むなんてことしなくていい。
そりゃ伸びない訳だと思った。安定感なんて作品を作るにあたって大事なものだろう。
有名字書きには安定したファンがいて、ファンには安定して面白い話を書く字書きがいる。
こうなってしまえば無名字書きの入る場所なんてないだろう。
(ここで有名字書きが書いた話を私が投稿する、またその逆を行ったらどうなるのかという実験を思いついたが付き合ってくれる人がいないため潔く諦める)
勿論、私の話がつまらないからだという理由も理解している。

有名字書きには有名字書きの悩みがあって、絵描きには絵描きの悩みがあるのだろう。しかしそれを理解するほどの能力は私にはない。

以上、自分の話と並べられた有名字書きの作品のいいね数を見て思った独り言である。

自分の考えを文字にするのもキャラクターの感情の中に潜るのも嫌いではないから、小説はこれからも細々と書き続けるだろう。ただ少し思うところがあっただけだ。

有名字書きがすげぇ羨ましい!

初めにも言ったがこれは個人的な考えなので真に受けないでほしい。
これを 「ただの嫉妬」 と言う人もいるだろうしその意見に否定も反論もしない。
ただ、「嫉妬」 の一言で片付けられるとほんの少しムッとする程度には私の感情は単純ではないということだ。