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最近触れた音楽の話#19 SUPER BUTTER DOG〜ゆらゆら帝国〜PUFFYほか

SUPER BUTTER DOG『サヨナラCOLOR』意志と望郷の眺め

最近、SUPER BUTTER DOG『サヨナラCOLOR』の忌野清志郎とのコラボ動画・音源が配信された。それをみつけた友達が私に知らせをくれた。サヨナラCOLORは知っていたけれど、ちゃんと曲の全容を鑑賞したことはまだなかった。映画のほうもまだ見ていない。

そう、映画化されているのです! 竹中直人がメガホンをとった(表現が古風?)。曲が先にあって、それが映画の後奏を生んだ。映像や物語を想起させる曲だったのだ。

何かを鑑賞すると、人のあたまの中には映像が立ち上がる。それは、その時鑑賞している対象が有している情報とは別物である。作り話を鑑賞して、頭のなかにはまたべつの作り話がうまれている。…という話をある映画監督から聞いたことがあって、私はそのことをたびたび思い出す。見ている人、鑑賞している人の頭のなかにも「クリエイティブ」が起こっているのだと。

創造することは、1度壊すこと。オリジナルの映像なりなんなりが有している情報が鑑賞者に作用して、鑑賞者のなかに変化を起こす。反射や反応。その次のプロセスが思考とか想像なのかもしれない。それを他者が触れられるかたちにする行為が創作か。映画を作らせる歌、私も創作したいもんだ。

高田渡『年輪・歯車』ふたつの詩

有馬敲、山之口貘ふたりの詩人の作をひとつづきにくっつけてしまったアクロバットな発想者が高田渡。

生活の柄、銭がなけりゃなど私の好きな曲を有するアルバム『ごあいさつ』。聴く程に好きになる。キセルという京都出身の兄弟音楽ユニットがカバーしている。キセルもまた私の大好きなミュージシャン。

高田渡は詩人の作の世界を私にひらいてくれる。有馬敲の詩集を私は買った。『値上げ』という曲で有名な有馬敲の詩の原作の名は『変化』という。

また高田渡と世代の近いミュージシャン達とのつながりがなす音楽の世界もみえてくる。アルバム『ごあいさつ』にははっぴいえんどの面々や矢野顕子も関わっている。関西でのフォークのムーブメントも見えてきた。興味深い年代。

喜納昌吉&チャンプルーズ『すべての人の心に花を』と私

コロナ禍でことごとく催しは控えられた2020年。それは今もなおつづいている。終わりはあるのか。

コロナ禍と関係あってかなしにか、なんだかしんどい。そう思う日がある。時間の流れと私を切り離してくれるような、包容力を持った歌がほしい。聴いたり、歌ったりしたい。そう思うときがある。その役にかなう歌のひとつが、喜納昌吉&チャンプルーズの『すべての人の心に花を』ではないか。

自然の流れ、時の経過。そんな大きな輪廻のなかに自分がいることを認めてくれているような歌。今、自分がどんな状況にいたとしても、心に持ち歩いていれば取り出せる。そういう歌を、いくつかは持っていたい。

沖縄の匂いを連れたポップやロックを本土にも世界にも広めた功労者のひとりは、喜納昌吉だろう。三線やウチナーグチ(沖縄のことば)もポップに頻繁にあらわれるようになった今だけど、その源流をつくった人ではないか。 

ゆらゆら帝国『恋がしたい』感情の海の底

ゆらゆら帝国を知って高校のときによく聴いていた。いろいろ入ったベスト。『バンドをやってる友達』が好き。覚えやすく歌いやすいメロディ。坂本慎太郎は子どもの歌を作に取り入れることもあって、やさしいメロディの特質は多くの人に響く。少なくとも私はそう思っている。

『恋がしたい』はミドルテンポなファンクな曲。武田カオリを迎えた、フィメールボイス。坂本慎太郎の低声が絡む。ネジを占め過ぎていない感じのシックスティーンが心地よい。トランペットやラテン打楽器も絡む。

『ゆらゆら帝国のめまい』『ゆらゆら帝国のしびれ』2枚同時リリースのうち「めまい」の方に収録。「めまい」には『バンドをやってる友達』も収録されていて、どくとくのやさしく美しいメロディの綾をかたちづくっている。対して「しびれ」はなんともいえない、独特のケミカル、サイケを有している。ほかでいう「ケミカル」や「サイケ」とはどこか違う。なんで私はそう思うんだろう。よくわからない。個性的な表裏をなした2枚のアルバム。



『星に願いを(When You Wish Upon a Star)』クリフ・エドワーズとオケとコーラスの音を聴く

『星に願いを』は音楽の教科書に載っていた。高校生のときにつかったものだ。

私は音楽科の教職免許状を取得するため、母校の高校に教育実習に行った。そのときにも、自分が高校生のときから持っていたその教科書を参考にして歌ったり演奏したりした。

その教科書は音楽大学に進学したときに作編曲の授業があったときにも参考にした。私は載っていた『星に願いを』で小さな編成のアンサンブルを書いた。和音がいいなと思った。Cメロ譜をもとに声部わけをして、あくまで美しく進行させるは意外と難しかったなとあいまいに覚えている。でも和声を書くのは好きだ。

曲のことをよく認知しているわりには、原作というのか、最初に発表されたパフォーマンスがどんなものなのかをちゃんと知らない有名曲であることに気付く。

この曲は1940年の映画『ピノキオ』の主題歌。こおろぎの地味ニー・クリケットが歌う。それがオリジナルということだ。だから、オリジナル・アーティスト(歌手)はジミニー役の声優さん。作詞と作曲者は別にいる。まだhシンガーソングライターが台頭していない時代。

弦楽器の響きがリッチ。気持ちも豊かになるかんじ。細野晴臣の心の底のほうにある音楽って、こういう、1900年代前半くらいのアメリカの映画音楽とかなのかもなと想像。

くるり Jubilee 光陰の揺らめき 音楽のことば

くるりは私の心の別格バンド。音楽は好き。バンドも好き。いろんなの聴く。そのどれにも、それぞれにいいところがあって好き。でも、くるりは別格で好き。

『Jubilee』は『ワルツを踊れ』(2007)の重要な曲。核心というか。ずっと好きな曲だけど、最近また意識する機会をくれたのは土岐麻子。2月にカバーアルバムを出す彼女が、先行してくるりのカバー『Jubilee』を配信開始した。それについて岸田繁がTwitterで言い触れていたのを見て知った。

土岐麻子はシンバルズを聴いて知っていた。もうソロが長いだろう。カバーアルバムを以前にも出しているし、音楽の魅力的な世界に奥行きを与えてバトンをつないでくれるシンガーだとも思った。

PUFFY『アジアの純真』めまいの韻律、変声のロック・オーケストラ

奥田民生が好きだ。彼を私が好きなのは、単にサウンドやメロディやコードや歌詞が好きだというのもあるのだけれど、それを生み出すスタイルに興味があるのも一理。

ずばり、ひとり多重録音。私もそのやりかたで曲をつくるからだ。その制作のスタイルが制作物に影響するのももちろんあると思う。

私のPUFFYへの興味は奥田民生が導入になってくれた。そういう人は他にも多いのじゃないかと思う。

井上陽水の歌詞にはクラクラした。奥田民生とは共同でたくさんの仕事をして多くを生み出している。まだすべてを鑑賞していないのでこれからの楽しみがたくさん控えている。

『アジアの純真』にはたくさんのカタカナ語が登場する。多くは国や地域の名前なのだけれど名詞や動詞も含まれる。だいたい知っている単語だったけど中には知らないものもあってそれを検索して知る遊びで半日が潰れた。『アジアの純真』がもたらす楽しみは音楽鑑賞にとどまらなかった。井上陽水の歌詞は魔法。井上陽水の歌詞は魔法!

むすびに

1月がこくこくと流下していきます。今日は雪がふるという話も聞きます。家でいろんな音楽をネットでひっぱってきて鑑賞して何か書くという活動は天気に左右されないので、特にだから何だというのでもないのですけれど、落雷で停電とかしたらさすがに影響あるかもしれませんがそうそうあることじゃないのでいつも通りお茶をすすりました。なんの話か…。

青沼詩郎

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