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フィンガー5

五本指ソックス、というアイテムがあります。これの良さを、かつてのぼくは認めていませんでした。履くのたいへんそう。脱ぐのも大変そう。脱ぎ履きがたいへんだからひっぱって裏返しに脱いじゃったら、いちいち表に返して直すの大変そう。見た目もなんか微妙で、それ、かっこいいの?って疑問に思っちゃう。ムレないっていう良さを主張する人がいるからちょっとだけ履いてみたところ確かにそんな気がしないでもないけれど、ずっとこれでいくぞ!っていうほどの劇的な効果の実感もないかな……なんて思っていました。

それが気付くとどうでしょう。いまや、僕のくつしたの生きた手駒はすべてといっていいほど、五本指ソックスです。まったくそれ以外のくつしたを持っていないわけではないのですが、もはやタンスの肥やし状態で、実質稼働していません。

たまに五本指でない、足首を覆うことがないくらい短いスニーカーソックスを履くこともありました。これは、たまに七分丈や九分丈のズボンに合わせて、肌を見せる部分をつくるために丈の短いソックスを選びたいという動機があった場合のみのチョイスでした。

しかし、近年、無印良品の商品で、スニーカーソックスなみに短い丈の五本指ソックスがあることに気づきました。ぼくは店頭でそれに気づいたその日に三足買って、後日新たに三足買い足しました。

劇的!というほどではないかもしれませんが、五本指ソックスはムレにくいといまのぼくは思っています。ぼくは手にも足にも、ちょっと運動をしただけのからだをおおう手や足以外の全身の肌にも、比較的汗をかきやすいという自覚があります。ですから、すこしでもムレにくいという機能は、ぼくにとって大きな価値となりうるのです。

五本指ソックスを毎日継続的に履くようになってから、じぶんの靴の悪臭が軽減されたとぼくは思っています。ほかの人に嗅いでもらうのは悪いし恥ずかしいので、おのれのみの実感でしかありませんから(ことに匂いに関してじぶんがきっかけで放つものを認知する際に客観性を保つのは難しいといいますから)、悪臭の軽減はひょっとしたらぼくの気のせいである可能性も否めません。ただ、着用するぼく自身が満足しており、その満足感は五本指でないソックスを日常的に着用していた頃よりも高いものだという実感があるのです。

ある特定の楽曲を認知したときに、それに対して抱く印象、おのれが示す反応が、時間的な隔たりを経ると違ったものになることがあります。

あのときからこの曲の存在はしっていたけれど、この曲にこんないいところがある!とは気づけなかったなぁ、この曲のこんなところをいい!と感じるなんて、当時は思わなかったなぁ〜なんてことが起こるのです。

かつてのぼくが持ち合わせていなかった、魅力や聴きどころをとらえる感性が、いまのぼくにはあるようなのです。「五本指ソックス」も、そんなコンテンツのひとつだったのかもしれません。

お読みいただき、ありがとうございました。


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