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今週ふれた音楽たち bandshijin Weekly 6

今週どんなことがあったか?

と自分に問うと、私の場合、ブログに書いたことやYouTubeにアップロードしたカバー曲のオリジナルに触れた体験ほかが中心です。

それくらい、1週間という単位は何もなく過ごしてしまうものでもあるし、かといって何も起きない・起こせないというなこともない。あ、そういえば某オーディションにひとつ応募しました。私は音楽ブログを更新したりカバー動画をアップロード・公開したりしますが、そういうものをする最終(採集)目的は、じぶんのアウトプットに活かすこと。私は作詞や作曲や歌唱や演奏をします。そうしたアウトプットに新しい風を吹き込み、刺激をもたらし、活かせればよし。それ以上も以下もないのです。

最近…いえ、先月こういう曲を書きました。

青沼詩郎『Botch』
https://www.youtube.com/watch?v=p5dYmbDaq34

この曲はなんとなく、どこがどうというわけではないのですけれど、ブログやカバー弾き語り動画の更新生活の賜物として生まれた実感があるのです。

紹介するまでもないかもしれませんが、「自分のアウトプットに活かすためといいつつ口ばかりで、結局何もペイバックできてないじゃん」と言われないようにとここに宣言してみました。誰がそんな文句言うかと考えたときにまず一番はじめにあがるのは私自身です。そう、私よ、一応「口だけ」じゃなく、ブログやカバー動画アップロード生活は自分のアウトプットに活かせているようですぞ。

と、noteの場をモノローグに乱用させていただいたところで、私がこの1週間に書いたブログ記事を振り返る記事をここから展開いたします。

10月11日(日)Ⅰ—ⅢMの名曲 Radiohead、THE YELLOW MONKEY、エレファントカシマシ、奥田民生、小山田壮平、くるり、oasis、斉藤和義にみる

コード進行に私はつよい関心があります。

じぶんが作曲をするからだと思います。

響きのつながりやうつろい。それらがもたらすエモーション。そこにつよい関心があります。

複数の声部(つまり、単音たち)がヨコに同時進行して、その関係が近づいたり遠ざかったりする。そこに明暗や色彩が生じて感じるからふしぎです。この土台のうえに、歌詞やメロディが乗るのがホモフォニーであって、いわゆる普遍的なポップスの典型です。

Ⅰ—ⅢMというのは、Cメージャー調でいえばC—Eというコード進行です。この日のこの記事では、特にサビの冒頭でその進行をとる曲をあつめてみました。

それから、私が敬愛するバンド・くるりのレパートリーにもこの進行を求めてみました。意外と、彼らのシングルやアルバムの中で特に目立つ曲として私はこの進行を有する曲が思いつかなかったので、さがすのはひと苦労でもありましたが楽しい作業でもありました。

10月12日(月)the brilliant green『There will be love there -愛のある場所-』

ブログやカバー演奏チャレンジで、無意識に、私は「男性がつくったっり歌ったりした曲」ばかりを取り上げているのではないかとふと思い立って、じぶんがカバー演奏にチャレンジした曲たちをカウントしてみました。

すると、やっぱり男性のつくったり歌ったりした曲が多かったです。私が男性だから、そのまま歌いやすいというのもあるかもしれません。

世のざっくりはんぶんは女性ですし、女性と関わるうえでも男性とかかわるうえでも、私はじぶんの音楽愛好者としてのさらなる高みを目指す意味でも、そうした「偏り」に気付いた以上は、その偏りの是正にいくぶん積極的な意志を持ってはたらきかけるのもやぶさかでない…そう思って、自分のなかにある、女性が歌ったりつくったりしたであろう曲に着目して、わりとすぐ思い至った曲がthe brilliant green『There will be love there -愛のある場所-』でした。

この曲の8センチシングルCDを私は持っています。なつかしい。けれどずっと輝きつづけている。めっちゃ好きな曲です。カップリングも好き。

10月13日(火)奥田民生『愛のために』 高平熱のヒーロー

女性がつくったり歌ったりした曲を取り上げて、交互にだったら同性のものを今までどおり取り上げてもよろしいかな…と思って、早速私のこころの師匠(勝手に任命)、奥田民生の1曲に焦点。

先日の記事で話題にしたコード進行「Ⅰ—ⅢM」がつかわれています。

あと、「そのアーティストが何歳のときの作か」ということが気になりだしました。自分がおなじ年齢だったときにどんなだったか、何をしていたかを振り返ってみる。または、オリジナルアーティストと私が異年齢ならば、リリース当時の私は何歳くらいで何をしていたか、を考えるきっかけにもなります。思い出して、振り返って、何になるというのでもないのですけれど。たいてい、「うわ、偉大なオリジナルアーティスト○○に比べて、私ときたらちっせぇ人生だぜ。」と自覚するだけです。不毛?笑 いやいや…未来に活かしていきますよ、この振り返りも。

10月14(水)DREAMS COME TRUE『LOVE LOVE LOVE』 愛の霊感と神聖のポップ・アンセム

男性アーティストをとりあげた次の日はまた女性を含んだアーティストを…という意識がまだ強くのこっています。

この日はDREAMS COME TRUEの名曲をば。

90年代、私は少年でした。1986年うまれなので…10代まで、そして10代のなかばをすごしていたのが私にとっての90年代です。

だから、自然と自分のブログで取り上げる音楽も90年代Jポップが多くなってしまいます。それだけ私の心の多くを占めています。そのことを、へんにねじ曲げる必要はない。大事に思っているものを、大事に思っているままに取り上げればよい。そう考えてもいます。

だから、『LOVE LOVE LOVE』も心のなかにあった音楽のひとつでした。

オトナになって、最近になってブログを本格的にはじめて、あらためてこの曲をきいてみたら、なんていいんだろうと。どこをどう思ったのかについてはリンク先の記事をお読みくださいませ。

10月15日(木)くるり『ロックンロール』に寄せて

9月20日にオンラインで開催された、くるり主催の世界の音楽のお祭りin京都とでもいえそうなフェス『京都音楽博覧会2020』。

私はそのクラウドファウンディング支援者になっていました。

音博2020のオンライン視聴チケットに、Tシャツのついたリターンの支援をしていました。

この日は、リターンのTシャツが私のもとに届いたのです。

嬉しくなって、今日は「くるりだな」、と。なんて安易な私。

でも、それくらい、いつもくるりは私のこころのなかにいるのです。もう年がら年中わたしの胸中はくるり祭りです。Tシャツが届いたからとか、そんなのは些事でしかありません。嘘。めっちゃ嬉しくてテンション上がったし、ひとり盛り上がりました。

『ロックンロール』は冷凍コンテナみたいな場所で白い息をもうもうと浮かべながら前へ後ろへギターやベースを持って歩くメンバーが映ったMVが印象的でした。くるりライブでも演奏され続けている、超重要曲です。すぅーーーと空に滑らかな軌跡を描くような美しく神妙な名曲。かつ、ロックです。それも、ただのロックンロールの典型じゃない。くるりとしかいいようのないロックなんです。もう私の舌をいくら尽くしてもこの曲のすばらしさの前では無。曲、知っている人も知らない人も、この機会に何度でも原曲を求めてお聴きになってください。

10月16日(金)安藤裕子『のうぜんかつら』に寄せて

男性アーティストを取り上げた翌日は女性アーティストを…の意識もあります。けれど、安藤裕子の『のうぜんかつら』はそういうの抜きにして、心にあった曲。身近なある女性に、好きな曲や何かリクエストするとしたらどんな曲? といった類いの質問をしたときに名前があがった曲でもあります。

(リプライズ)とつく、月桂冠のCMにつかわれたピアノとボーカルのみのアレンジと、ハネたポップチューンのアレンジがあります。どちらも私は好きです。ハネると一気にポップ度が増すのを私はおもしろがっています。私の自作曲(青沼詩郎『WALKING ON THE RAINBOW』)も、ハネさせたポップのつもり…と思い出す。自曲ですみません。

『のうぜんかつら』のボーカルメロディ、特に曲前半部の構成のしかたに特徴があります。印象づける「おぼえやすさ」があるのにも関わらず、「まったく同じかたちそのままでの繰り返し」が少ないのです。これは秀逸。気付いてびっくりしました。ヒット曲には、かならずや特徴的なヒミツを見出せる…という持論を思います。

10月17日(土)童謡『浜千鳥』 転生の浜辺

童謡の、「あらゆる人にとっての歌いやすさ」は私にとっての正義でもあります。私の、音楽に望む際の、もっとも重んじている態度を決める要素のひとつでもあります。

ある映像のBGMとして、この『浜千鳥』がつかわれていました。

私は昔(高校生〜浪人のとき)、音大受験を視野に声楽のレッスンへ通っていました。そのときに、日本歌曲としてとりあげて歌ったことのあった曲でした。

そのときは、モッタリとしていて歌いにくい曲だなと思っていました。私の技術不足のせいです。おまけに知識や経験もありませんでした。

直感的に(感覚的に)音楽がその人にはたらきかけるものがあると思うのですけれど、ある音楽をとらえたり解釈したり認知するときにものをいうのは、やはりその人の経験や知識だと思います。それらが、ものごとを解釈する素養になります。知覚のための、感性の源だと思っています。

高校生の頃から、10年以上が経っているのが今の私です。

あの頃に触れて知った『浜千鳥』より、このたびにあらためて出会い直した『浜千鳥』は百倍ステキでした。

むすびに

と、今週の私の音楽ブログ記事はこんな感じでした。

「男性アーティストを取り上げる事例が多い」という自分の無意識への気付きがありました。やっぱり、なんにもないことはないですね。1週間は短い。それにせよ。ミクロにみれば何かある。で、つっこんで見てみたらこんどは、「ぞっこん」にならないように離れて、俯瞰してみてみる。その繰り返し。

青沼詩郎

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