北海道家庭学校 その2 大切な言葉
北海道家庭学校には繰り返し語られる大切な言葉がたくさんあります。
三能主義
(能く働き、能く食べ、能く寝る)
自然と感化事業 留岡幸助 大正4年2月5日法律新聞より
北海道の開墾地が甚だ好都合に出来て居る。即ち食うと云うことに付ては殆んど無尽蔵と言ってよい位、農作物が在るから何時も飽食することが能きる。釣りすれば『ヤマベ』も食える。又働くにしても今の所殆んど限りない程の農場が在るから幾らでも働かせることが能きる。次に眠むらすることに付ても都会の如く活動写真があるんじゃアなし、何物も何事も見たり聞いたりする事物がないから夜遊びする憂もなく、遊ぶことがなければツイ眠むると云う訳で、三能主義を遺憾なく実行することが能きる。それに前にも言った通り大自然の感化力も手伝うから、別に大人物が居なくとも、単に忠実に仕事をやって生徒を監督さえして居れば知らぬ間に善良な人間となってる訳である。
四能主義
第9代校長(2014-2020)仁原正幹氏は三能主義に「能く考え」を加えた四能主義を唱えました。
望の岡分校第8回卒業証書授与式(2017年)の仁原正幹氏による祝辞より
「能く考える」ということを提唱したいと思います。自分の特性、性格や癖などをいつも意識して、どうしたら周りの人と仲良くできるか、人の気持ちがわかるようになるか、今までのような失敗をしないで済むか、そのことを家庭学校にいる間も、社会に出てからも、毎日毎日「能く考えながら」生活し、自分の力を十分に発揮してほしいと願っています。
難有
大正8年(1919)に建築された礼拝堂の正面には難儀があるという意味の「難有」二文字が刻まれた大きな額がかけられています。「苦しみ悩むこと」が「有る」という意味なのですがこれを「ありがとう」と読みます。難儀に正面からぶつかり、そして見事乗り越えた時に「ありがとう」という気持ちを忘れないでほしい、難儀を経験することによって、人の気持ちが分かるようになり心からの感謝の気持ちになるのだという意味です。
流汗悟道
(汗を流して一生懸命に物事を行えば、おのずと道は開ける)
人間は汗を流して、初めて何かが分かってくるのです。多くの人々の世話になっていること、助けを受けていること等々、自ら汗を流して体験しなければ、何も分からないのです。怠惰では人の心やその活動を理解できないのです。私たちは多年にわたって、さまざまな生産活動に努力してきました。年若い少年諸君と共に、熱心に勤労の生活を続けて来ました。少年の心を養いたいと願ってきました。
家庭学校HPより
一路至白頭
This One Thing I Do.(このひとつのことを私は行う)
留岡幸助は1891年(明治24)に北海道空知集治監の教誨師となりました。そこで囚人を導くうちに、最初の罪は幼少のころに起こしていることを知りました。
3年後にアメリカに渡り、素行不良の少年教育の実際を視察して回りました。その中で米国監獄の改善事業に取り組んでいたブロックウェーという人物から、この言葉を教えられ、「一路至白頭」と訳しました。
資料
「一路至白頭」
〜新年のご挨拶〜
遠軽中学校望の岡分校
校長 平出 寿
学校の冬休み中に迎える正月は、暖かく温々と過ごす気分を味わえます。一方、友人知人から届く年賀状を見ながら、新年の思いも新たにキリッと気持ちを切り替える時でもあります。それぞれの生活や思いが詰まった友人知人から届く一枚のハガキに、時には自分を重ね、時には明日の自分の姿を見通します。
家庭学校のあらこちらには、百年の歴史の中で紡がれた素敵な言葉がたくさんあります。その中の一つと問われれば「一路到白頭」(いちろ はくとうに いたる)を選びます。「This One Thing I Do」という言葉に巡り合った留岡幸助先生は、そのまま日本語に訳せば「このひとつのことを私は行う」とでもなるものを「一路至白頭」〜白髪になるまで、このひとつの道を歩み続けよう〜 としたのです。しみじみと心に届く日本語になりました。
さて、北海道家庭学校で毎年行われている2014年の晩餐会で、「氷点」等で著名な作家「三浦綾子(1922〜1999)」さんの夫としても知られる三浦光世(1924〜2014)氏が書かれた家庭学校創立百年を祝う色紙が紹介されました。そこには留岡幸助先生の座右の銘「一路至白頭」が記されていました。幸助先生自筆の書が家庭学校校長室に掲げられていますし、その言葉が台座に刻まれた胸像が本館前庭に建っています。今も毎日家庭学校を見守っている幸助先生は、家庭学校で過ごす全ての人たちが、一つのことをやり抜くようおっしゃっているのです。目の前の様々な困難に立ち向かう時、問題に正面から取り組み、じっくり解決して行くことや先延ばしにしないことが大切だとも教えていただいているのだと思います。一歩一歩確実に、時にはゆっくりと効率悪くとも手間隙かけてやり抜くことで、道は必ず開けると教えているのだと思います。
新年は、これまでの自分の姿を見つめ直し、ぜひ有意義な時間としていきたいと決意も新たにしていきます。
2015年12月ひとむれ原稿
「家庭学校」の知恵
元遠軽中学校望の岡分校校長
/北海道家庭学校幹事
平 出 寿
おそらく一九七五年(昭和五十)頃だと思います。その内容の記憶も定かではありませんが父が購入した第五代谷昌恒校長の著書「ひとむれ」を読み「家庭学校」の一端に初めて触れました。とても残念なことに今その本は手元にありませんがその後、一九八四年(昭和五九)から八年間遠軽東小学校に勤務しましたので、家庭学校はほんの少しだけですが身近に感じられる存在になりました。それは遠足での目的地として平和山に登ったことや、家庭学校職員子弟の学級担任として、どの寮なのかの記憶はありませんが、家庭訪問で訪れたこともあるからです。
望の岡分校は二〇〇九年(平成二十一)に家庭学校内に設置された遠軽町立の学校です。およそ百年の歴史を刻む家庭学校に公教育が導入され、児童個々の学力に合わせた忍耐強い学習指導が行われています。分校開設時にはその時に勤務していた学校から一人の教員が転勤し他にも三十年来の知人が二人、合わせて三人が分校の創設期勤務となりました。それでも家庭学校が少し身近に感じられる存在で有ることに変わりはありませんでした。
そのような中、縁があり二〇一三年(平成二五)四月に私は遠軽中学校望の岡分校の校長となりました。家庭学校に直接的に関わることになるとは、思ってもいなかった中での異動です。それまで小学校勤務の経験しかなかった私が初めてとなる中学校、そしてオホーツク管内唯一の分校のある学校に勤務することになったのです。その後思いもよらず五年間の長きにわたって校長として家庭学校と関わることになりました。
分校長は望の岡分校に毎日出勤するわけではありません。行事を中心に必要に応じて家庭学校に出向くのです。その中でB版手書き原稿を印刷した機関紙『ひとむれ』誌が毎月発行されていることを知ることになりました。
私の手元に届く『ひとむれ』誌には、熱田・仁原・清澤校長の熱い巻頭言から始まり家庭学校職員・分校職員・児童生徒の思いが詰まった文が綴られています。毎月その一つ一つを読むと心が震えます。また、ひと月の訪問者や行事等が概観できるようになっているので、家庭学校の様子も感じることができます。数年前(二〇一四年十月号)からそれまでの手書きからワープロ編集となり、編集者の業務も若干軽減されたのではと思うものの、毎月の原稿集めを初めとする作業の手間暇は膨大なものであろうと想像でき、担当者のご苦労に頭が下がります。家庭の愛と学校の知に溢れた、家庭であり学校である「家庭学校」の知恵の一端を『ひとむれ』誌を読むと感じとることができるのです。今、これまでの積み重ねが通算千号発行となることに深い感慨を覚えます。
さて、最近ネットフリックス(インターネット上で映画やドラマ、アニメなどが見放題になる動画配信サービス) で第一回大会(二〇〇一年)からのM-1グランプリ(若手による漫才大会)を見ています。その中での心に残る漫才の一つにお笑いコンビ、ナイツの「ヤホー漫才」があります。
そこでYahoo(ヤフー)で「”ひとむれ”」を検索してみました。(二重引用符(”)で囲みキーワードの語順のままの完全一致ページの検索結果を表示)すると全部で約一万四千三百件の検索結果が表示されました。
トップは「家庭学校へようこそ—ひとむれ」です。表示を見ていくと谷校長の著作を中心に家庭学校に関連する検索結果等が続々表示されます。ちなみに「”ひとむれ” ”北海道家庭学校”」と検索すると随分と絞り込まれて家庭学校に関連する約二六二〇件(九月八日調べ)が表示されます。
なお、Google(グーグル)で検索してもYahoo検索とほとんど同じ結果が表示されていることに気づきました。その理由をしらべてみると、二〇一一年から「YahooはGoogleの検索技術を利用している」からだとわかりました。ナイツが「ヤホー漫才」を確立したのが二〇〇八年頃ですので、実は今彼らがやっているのは「ゴーグレ漫才」だと言うべきかもしれません。
北海道家庭学校では、二〇一〇年(平成二十二)からウェブサイトを運営しインターネットで広く情報を公開しています。その中で、一部抜粋ではありますが二〇一〇年四月からの『ひとむれ』誌を読むことができます。その一部分をざっと読み返してみると、一度読んでいるはずの文章の中に新たな発見もあります。
二〇一四年九月号に仁原校長が「『ひとむれ』について」を書かれています。その中に、創刊以来号数カウントが二回リセットされ、その都度第一号から始めているので「今月号の通巻号数は一〇七六号と言うのが本当のところのようです。」とあるのです。そこでこっそり仁原理事長に尋ねます。「この創刊千号記念特集号は本当のところ何号になるのですか?」
2021年9月「ひとむれ」1000号原稿
writer Hiraide Hisashi
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