毒親のアンダーコントロールから脱出
還暦を過ぎた今でこそ和解しているが、私の親は毒親の部類だと思う。
私にとっては母がな。
母は、教育実習ですごく褒められて、自身も教員になりたかった。
しかし見合いで結婚した父は専業主婦であることを求めた。
やはり教えたかった母は父を説得したのだけれど
私を妊娠。
家で家庭教師をやっていたが、私が動き回るようになったら生徒のノートにいたずらしたりするようになったんだとかそれで家庭教師もやめたんだとか要するに
あんたが生まれたから私は教師をあきらめた
そういうプレッシャーが幼いころからあった。
んで、母はどうしたかというと
「これからの時代は女性も働く。あなたは教師に向いている。」
これを幼児期からすりすりすりすり刷り込んだわけだ。
子は最初は親のいうことを素直に聞くからな。
幸い、私は教師運がよく担任に恵まれていたので、
先生をお手本としつつ、教師の心構えを胸に育て、教える技術は授業で盗むという「教員一直線」な人生のスタートを切った。
教育学に歴史のある一流大学の教育学部で学び、
教育実習では絶賛され、
というか「君はレベルが高いから要求するんだけど直すべきはここね」という指導をしてもらい、
実習先の校長はもう私が採用されたら引き抜く気満々、という状態で
教員採用試験の一次は難なく通った。
はた。
これでいいのだろうか?
大学四年生でやっと出てきた疑問。
当時、悩みまくって二次試験の面接をすっぽかした。
そして外資系のコンピュータ企業にシステムエンジニアとして就職。
性格にあってたんだが、仕事の壁とモラハラとパワハラに苦しめられた時期に新入社員研修の講師をやって、
伊達に七歳から教師を志したんではないな、私、教えることに向いてるわ。
わかりやすい教材を作り、新卒の新入社員にかみ砕いて説明しつつ、仕事の内職をしている中途採用もこっち向いて聞くようなためになる講義。それを作るのはなんて面白いのでしょう。
さらばシステム。私は人間を選ぶ。
教員はやって良かったし、良い教師であったと思う自画自賛。
業務上の事故で退職したけれど、頑張った。
大学卒業時にストレートに教職につかないで、
迷って、
自分で決めた人生だったから、
我が人生一片の悔いなし。
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