昭和61年度NHK全国学校音楽コンクール 高等学校の部 課題曲 「さようならの季節に」 歌詞に対する一考察

依頼されてから随分お待たせしてしまいましたが、
合唱曲の詞の解釈です。

歌詞、引用します。

  さようならの季節に

季節の中にひとつ椅子をおいて
風が吹いてくままにして

時さえ流れるにまかせて
誰にも知られず眠りたい

疲れをいやさぬまどろみなら
夢見ることもないだろう

さようなら しあわせたち
さようなら 悲しみたち
もう 二度と出会うことのない
めくるめく時

今 わたしひとり さようなら

季節の中にひとつ心をおいて
小鳥のついばむままにして

時さえ流れるにまかせて
静けさの中に戻りたい

手のとどかないやさしさを
追いかけることも今はない

さようなら きらめきたち
さようなら かがやきたち
もう 二度と来ることもない
まぶしい街

今 わたしひとり さようなら

さようなら 苦しみたち
さようなら 歓びたち
もう 二度と求めはしない
青春の日々

今 わたしひとり さようなら

第一印象は、
「何故、フォルテで終わるのだろう?」
でした。

何度も聞いているうちに、
ああ、これは決別の詞なんだな、と、思いました。

何と決別するのか?
それは、fで歌われる「青春の日々」です。

「卒業式」と言うのとは若干違いそうです。
「もう二度と来ることもないまぶしい街」とあるからです。

「わたし」は「まぶしい街」ですごした「青春の日々」の全てを置いて、
「今、わたしひとり」決別しなければならないのです。
決別せねばならぬ事情については一切触れられていません。
抽象的に表現することによって、「青春の日々との決別」に、普遍性を持たせているのだと思います。

そう考えた上で、歌詞を分析します。

>季節の中にひとつ椅子をおいて
>風が吹いてくままにして

>時さえ流れるにまかせて
>誰にも知られず眠りたい

>疲れをいやさぬまどろみなら
>夢見ることもないだろう

と、

>季節の中にひとつ心をおいて
>小鳥のついばむままにして

>時さえ流れるにまかせて
>静けさの中に戻りたい

>手のとどかないやさしさを
>追いかけることも今はない

とは、対になって解釈できます。
楽譜上も繰り返しです。

「季節」は、いつなのか書いてありませんが、
私は「秋」を考えます。
小鳥がついばむ「心」が、落ちた木の実を連想させるからです。

秋風が吹く街のどこかに、椅子がひとつ置いてあります。
「わたし」は、「誰にも知られず眠りたい」、休息を必要としているのです。
それは、疲れをいやす眠りではなく、「夢見ること」がない「まどろみ」でなければなりません。
「わたし」は、もう夢見ることをやめようとしているのです。

「わたし」の存在は「ひとつの心」だけになり、
椅子の上の木の実になり小鳥についばまれています。
それまでの喧騒を捨てて「静けさの中に戻りたい」のです。
今まで追いかけていた「やさしさ」は、手が届かないものだと気づいてしまったのです。

>さようなら しあわせたち
>さようなら 悲しみたち
>もう 二度と出会うことのない
>めくるめく時

と、

>さようなら きらめきたち
>さようなら かがやきたち
>もう 二度と来ることもない
>まぶしい街

とは、対になっています。楽譜上も繰り返しです。

>さようなら 苦しみたち
>さようなら 歓びたち
>もう 二度と求めはしない
>青春の日々

は、歌詞としてはくり返しですが、楽譜上は別です。
上二つの「さようなら」の連と異なり、
fで歌われます。一番強い気持ちだと言えます。

「わたし」は、この街で、「しあわせ」にも「悲しみ」にも出会いました。
それらに出会った日々は、「めくるめく時」、
「きらめき」「かがやき」「まぶしい」日々であったことでしょう。
それをふまえて、fで歌われる「苦しみたち」は、
「わたし」が最も苦しかった出来事、
「歓びたち」は、「歓喜」の「歓」の字を充てているように、
「わたし」が最も幸福の絶頂を感じた出来事であると、
とらえることができるでしょう。
しかし、それらは、「もう二度と求めはしない」「青春の日々」なのです。

>今 わたしひとり さようなら

は、三回出てきますが、違う気持ちで歌うべきです。

最初は、ひとつの椅子に座ってまどろむ「わたし」が、この街で出会った「しあわせ」や「悲しみ」に、別れを告げる決意です。
いわば、過去に別れを告げているのです。

二番目は、「心」だけになった「わたし」が、輝くほどまぶしい日々をすごしたこの「街」を、捨て去る決意を歌っていると言えます。
それは、現在の自分とも別れることを決意した、と、言うことでしょう。

だから、最初の「さようなら」は、感傷的に、
二番目の「さようなら」は、心を引き裂かれるような強い痛みを持って歌って欲しいと思います。

三番目、最後の「さようなら」は、tempo rubatoですし、嫌味にならない程度にゆっくり丁寧に歌う方が、私はいいと思います。
人は、青春に別れを告げなければならないときがあるのかもしれません。人によっては、意識せず自然に、なのかもしれませんが、この「さようならの季節に」の「わたし」は、胸に痛みを抱えたままの「決別」であったような気がします。

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