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個性と相性

私が一学年の担任をしたクラスに、とても個性的な男子生徒がいた。

目立たずにはいられない。
笑いをとらずにはいられない。

たとえ、そのことで教員に叱られても、生徒指導部に呼ばれても。

さて、学年を終えてクラス替えする時、
生徒が思っているほど、恣意的にクラスは作らない。
大体、どのクラスも学力的に均等になるように、原案ができる。
問題を抱えそうな生徒同士は、一緒のクラスにしないよう、調整する。

前述の個性的な男子生徒は、
あまり相性がよくなさそうな教員のクラスに原案では入っていた。
私は、基本的には原案に意見しなかったので、
そして、新担任になる教員も何も言わなかったので、

彼にとっては「学校で一番嫌いな教師が担任」という一年間だったらしい。

彼の言動は、ことごとく担任と衝突し、
学校に保護者が呼ばれまくった。

修学旅行で、自由行動の集合時間に、彼の班は遅刻した。
その担任のクラスが一番遅刻が多かった。

これを
「担任の先生、しっかり指導してくださいよ」
に、してはいけないと思ったんだ。
それぞれのクラスのこと、って、他人ごとにしちゃいけない。

遅刻者を集めて、教員と反省会したときに、
理屈より情に訴えよう、と、思ったんだ。
ぶっちゃけ、ええい、泣いてしまえ!と、思ったんだ。

だから、最初に発言した。
「今、この場に、私が去年担任だった人が沢山います。
私は、あなたたちを信じていました!」
って、泣いた。

したら、教員がそれぞれ一学年の時のクラスの生徒の所へ行って、
「しっかりしてくれよ、担任を離れても心配してるんだぞ」
「約束を守れないようなこと、なかったよね?大丈夫?」
と、いう流れになって、

次の自由行動では、遅刻者は出なかった。

しかし、その後の学校生活でも、
特に目立つ彼と、二学年のクラス担任との溝は埋まらず、
その教員は、彼の担任だけは断固断る!と、宣言し、
三学年では、彼は私のクラスになった。

その頃には、彼は、教員には反抗的で、行事は悪ふざけで引っ掻き回し、
手がつけられない生徒、という評価を、学年全体でもされていたんだが。

三者面談に父親が来た。

私「人間関係のパターンは、高校時代に出来上がるから、○○くんには
苦手な相手との付き合い方を学んで欲しかったんですけどねぇ。」

父親、意表を突かれた様子。
それまで、息子がいかにダメかって面談ばかりで、母親の方は疲れてしまったそうで。

私「○○くんは、成績はともかく頭はいいですよね。もっと大人だと思ってたんだけどなぁ。」
父「子どもですよ、幼稚なもんです。」
私「そうだったみたいですねぇ。でも、考える力は充分あるんだから、
人を笑わせたいという自分の行動が、学校全体の行事にどう影響するか、
三年生では、そのへんをしっかりして欲しいです。」
父「息子は、高校の教師より中学の先生の方がずっと立派だった、と、言うんです。」
私「(○○くんに向かって)当たり前だぁ。
高校生では『批判的精神』が育つんだから、
いつまでも『先生は偉い』とか言ってたら、
その方がおかしいわ!」

父親は、学校との対決も覚悟していたようだが、すっかりなごんで、進路の話。
本人は、俳優になりたいと。
だが、そんなに簡単な世界じゃないから、一年やって芽が出なかったら、普通に進学しろ、と、言っている、とのこと。

正直、一年じゃ短いなぁとは思ったが、
全力でやれば、業界で食って行けるか、自分がいかほどのものかはわかるだろう、と、思ったので、まずは、養成所かそれに近い専門学校に目標を定めた。

そして、受験期、担任の推薦書が必要だったので、書いたんだが、

私「え?本人の魅力、なんて項目あるんだ。
容姿?そんなの主観じゃん。私が魅力あると思ったらそれでいいんでしょ?
タレント性?まぁ、あるよね、むしろ学校では余計なくらい。」
と、両方に丸をつけて推薦書を発行した。

三学年になっても、彼は決して完全におとなしくはなっていなくて、
彼の友人は「アイツが目立ちたいって行動するのを止めるのは無理」
と言っていたし、
他の担任に
「卒業式をぶち壊しにさせないように、しっかりさせてくださいよ!」
と、散々言われていて、
そんなこと言われてもなぁ、と、私は無策だった。

だが、卒業式はつつがなく終了した。彼は何もやらなかった。

式典後の、「卒業を祝う会」では、大暴れしていたが。

彼が俳優になったのかどうかは、全くわからない。
テレビで見るような人にはなっていないけれど、
俳優って、年をとってからブレイクする人もいるし、
どうしているんだろうな、と、時々、思い出す。

いい大人になっていると、いいなぁ。

(一度、他サイトに載せた物の、表現を大幅に改変しました。)

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