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1990~2000年代の思い出の曲【#7】


『やっぱりなんかお母さんの様子が変だわ』
母は電話を切ると、婆ちゃんを心配しだした

確かに婆ちゃんの様子は少し変だった
従弟と泊まりに行っても
昼食に出されたラーメンに生卵を入れられていたり
(婆ちゃんは元々ラーメン屋をやっていたので、ラーメンには絶大の支持がある)
オセロゲームを一緒にやっても
ルールが全然理解出来ていなかったり
会話のやり取りもいまいち噛み合わない事が増えていた

母はもう一度電話をかけると、今から迎えに行くから家の中で待っていてねと
何度もしつこく注意すると、急いで準備をして車のエンジンをかける
自分も助手席に乗り込んで婆ちゃんの家へと向かう
その日は土砂降り
ワイパーも慌てている様に雨しずくをかけていく

婆ちゃんの家が見えてきた
『だからあれだけ中で待ってなさいって言ったのに!』
母は荒々しく車を止めると、急いでずぶ濡れの婆ちゃんの元へと向かう
婆ちゃんは傘もささずビショビショになりながら
笑顔で手を振っていた

婆ちゃんはアルツハイマー型認知症になっていた

当時はマンションから新築の一軒家に引っ越していたので
一階の和室を婆ちゃんの部屋にする事に
自分は中学一年だった

引っ越してからしばらくして
おじさんが亡くなった
婆ちゃんの息子で母の弟だった
嫁と二人の子供は家から出て行って
一人暮らしとなっていた
酒癖が悪いのが原因らしい
死因は酔った状態の入浴による心臓麻痺だった

亡くなる直前に異様な光景を見ていた
おじさんは珍しく家に来ており
弱ったような顔色で
母親の膝枕で横になっていた
自分は見てはいけないものを見たような気がして
慌てて二階へ上った
警察からの連絡はそれから数日後に来た

今考えてみると
それだけ精神的に参っていたのだろう

葬儀が行われた
そこには自分の息子の葬式なのに
笑顔で子供の様にはしゃぐ婆ちゃんがいた

親戚は言っていた
認知症になっていて良かったのかも知れないね、と


中学3年の時
母親は、婆ちゃんの介護で精神的に疲労していた
認知症が悪化し、夜中に勝手に外に出て行ってしまい
迷子になる事が多発していた
やむを得ず夜間は和室に鍵をかける事に
ガタガタと扉を開けようとする音が
夜中に家中に響き渡る
優しかった婆ちゃんを知っているので
自分はその音に胸が痛んだ

家の犬も、認知症の婆ちゃんに意味もなく蹴られるので
敵と思ってしまい、噛みつく様になっていた
このままでは危険だという事で
従弟(母の兄)の家で婆ちゃんの介護をしてもらう事となった

それから一カ月もしないうちに
婆ちゃんは亡くなった
老衰だった

葬儀では
娘よりも息子が号泣していた
自分は思春期だったので
泣くことは恥だと思い、グッとこらえる

帰りは兄の車に乗って火葬場を後にする
男兄弟は終始無言だった
車の中では浜崎あゆみのSEASONSが流れていたこと
今でも覚えている


中学三年も後半に差し掛かる
受験勉強しなければいけない
学校を終えて帰宅しても家庭教師との勉強がほぼ毎日続く

父親は海外出張を終えて
半年ぶりに帰って来ていた
風呂上がりの俺を見るなり
『よっ!久しぶりだな。しばらく見ない間に男前になったんじゃないか』

何て返して良いか分からず
苦笑いをする
この家の大事件は、すぐそこまで迫っていた。


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