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『推しの子』の件に関する炎上について

はじめに

先日、アニメおよび原作『推しの子』の件に関して以下のツイートをしたところ、多くの否定的な反応が寄せられ、いわゆる炎上状態となりました。

ツイートした当初は比較的冷静な反応や好意的な反応も多かったのですが、ある時点を境に攻撃的なリプライが多数寄せられるようになり、5/29現在、手のつけられない状態となってしまいました。

記録に残すという意味では、本来であればツイートを削除することは望ましいことではありません。が、このままではまともにTwitterができなくなりそ
うでもあり、精神的な自衛のためにツイート削除も検討しています。

追記:最終的にツイートは削除しました。

そのため、以下に一連のツイートのスクリーンショットをあわせて掲載します。


本件に関して、私なりの反省、お詫び、および反論をまとめます。

ツイートの背景と事態の経緯

すでに多くの方がご存じの通り、『推しの子』の原作およびアニメで恋愛リアリティーショーが題材として取り上げられました。内容としては番組出演者の炎上と誹謗中傷、および自殺未遂を取り扱ったものでした。

これに対し、2020年に恋愛リアリティーショー『テラスハウス』で実際に発生した木村花さんの自殺事件(以下、テラスハウス事件とします)を参考にしたものではないかと、遺族である木村響子さんがツイート。一部のファンがこれに強く反発し、木村さんへの批判や誹謗中傷が発生している状態でした。

その中で「木村響子さんがデマに基づいて『推しの子』を叩いている」「本当は原作の方が先なのに見当違いの批判をしている」という意見が多く見られました。


追記:この時点では情報が錯綜しており、「掲載時期」と「構想時期」が区別されないまま、「原作が出た(掲載された)ほうが先」という情報が独り歩きしていました。冒頭のツイートで私が「デマ」と言っているのはそのことです。


冒頭の私のツイートは「事件発生と原作の掲載時期の時系列確認」と「遺族への誹謗中傷の制止」の意図で書いたものです。

なお、ここは強調しておきたいのですが、私は上記の一連のツイートの中で、「『推しの子』は木村花さんの事件を参考にしている」とはひとことも書いていません。同時に、作者への批判もなるべくしないように中立的に書き、ファンへの自制を呼びかけたつもりでした。

ただ、読み方によっては「作品叩きを誘導している」ととらえられかねない点があったことは反省しています。今でも基本的な意見は変わっていませんが、言葉が強くなってしまったこともあり、もう少し別の書き方があったと考えています。

私の言葉足らずで、いたずらに騒動を拡大してしまったのであれば、その点はお詫びします。(私のフォロワー数や普段の経験からいって、ここまで拡散されるとは想像していませんでした)

ですが、私が書いていないことまで勝手に読み取る方や、私への人格否定や謝罪要求まで届きはじめているので、寄せられたご意見について可能な限り説明・反論したいと思います。

誤読を避けるために、かなり冗長な文章になってしまいますが、その点はご容赦ください。


5/29追記:
少し時間をおいて見返してみました。

落ち着いた今考えてみると

・最初の情報が不十分だった(ツイート内で構想時期について言及しなかった)点
・憶測で余計なこと(原稿ストックのことなど)まで書いてしまった点
・わからないことはわからないと明記しなかった点

上記3点についてはやはりよくなかったな、と素直に反省しています。
情報の訂正をする、というスタンスであればなおさらです。

最初のツイートの時点で

「『推しの子』の該当エピソードの雑誌掲載は事件の約半年後です。
ですが、構想は連載前よりあったという情報もあり、事件の影響があったかは断定できません。
不正確な情報に惑わされずに、まずは事態を静観しましょう。遺族への誹謗中傷は絶対にやめてください」

とだけ書いていればそれで終わった話です。

「情報発信が不適切であり、結果として作品叩きに加担してしまった」

この点は真摯に反省し、改めて謝罪いたします。

ご迷惑をおかけしました。


前提

私は『推しの子』原作のファンです。正直なところ、そこまで熱心な大ファンというわけではないですが、ジャンププラスでリアルタイムに連載を追いかけている程度にはファンです。アニメももちろん楽しみにしていました。

ちなみに、今回問題になったエピソード(原作25話)もリアルタイムで読んでいました。

※感想コメントはだいぶあっさりしていますが、当該エピソードが私にとってもかなりショッキングというか、感情を揺さぶられるものであったのは事実です。

また、原作はショッキングな描写があるものの、教訓を含んだ内容であり、人の心を強く揺さぶる名作であることは、私もまったく異論がありません。

『推しの子』はテラスハウス事件を参考にしているのか?

さて、本題に入ります。今回、一番多く寄せられた指摘は作品の「構想時期」についてのものでした。

ご指摘を受けてTwitterにも追記したのですが、原作担当の赤坂アカ先生が以下のインタビューで言及されている通り、恋愛リアリティーショーを取り扱うことは連載前(=事件発生前)から構想にあったそうです。

また、作画担当の横槍メンゴ先生も事件発生前に『テラスハウス』を見せられた旨をツイートしています。

このことから、「事件発生前の時点で恋愛リアリティーショーを取り扱うことは決定していた。事件とは無関係であり、本件は完全な言いがかりである」(だから、木村響子さんが叩かれるのもやむを得ない)という主張が多く寄せられています。

これに対しては私は「構想時期がいつであったかは外部からはわからないものの、原作掲載が事件の半年後である以上、原稿制作時に事件から影響を受けた可能性は完全に排除できない」と当初考えていました。だからこそ、冒頭のツイートも「掲載時期」についてのみ記述していました。

ただ、「『推しの子』が事件を参考にしたかどうかはわからない」ツイート内ではっきり書くべきだったと今となっては思います。その点は反省しています。

実際のところ、原稿制作時に事件のことが全く影響しなかったかについては今もってわかりませんが、「たとえ不幸な偶然の一致であったとしても、読者がテラスハウス事件を想起することは容易に想定できたため、それに対して何らかの対応がとれたはず」という考えは現時点では変わりません。

「構想時期が先であれば作者・制作側はなんら責任がなく、実在事件の被害者遺族に配慮する必要は全くない。言いがかりは切り捨てるべきだ」と考える方がこんなにも多いのは、率直にいって想定外でした。

事件を受けて作品の展開を修正・変更することは可能だったか?

ツイートの中で私は「事件から原作掲載まで約半年空いているため、事件と重なる作品の展開を修正するという選択肢はあったのではないか」と書きましたが、この点にも強い反論が寄せられました。

ここは言葉足らずだったのですが、私が想定していた修正というのは、全体のストーリーライン、プロット丸ごとの修正ではなく、部分的な修正です。

私も素人なので、具体的な修正案を求められると困ってしまいますし、素人が口出しすべきではないと思います。が、あえて例を挙げるなら、事件と重なる描写を避けるために、自殺未遂ではなくメンタルを病んで入院する(そこを主人公であるアクアが助ける)などの描写に変更する、とかでしょうか(これはあくまでもたとえばの話です。赤坂先生だったら当然もっとよい展開を考えつくと思います)

修正が可能だったかどうかについては、私は実際の漫画制作にかかわったことがないので、漫画ファンとしての知識で判断するしかなかったのは事実です。

ですが、週刊連載ではアンケート結果や読者の反応を受けて内容を変更することはよく聞く話ですし、作品が打ち切りになってしまった結果、数週間で急遽作品を完結させる必要があった…という話も漫画家さんのエッセイ等でよく描かれているエピソードです。

実際赤坂先生も連載開始後に当初構想からプロットを変更した旨をインタビュー等で発言しているため、全体の構想は決まっているものの、途中経過はアドリブで変更している様子が見てとれます。

その点を踏まえて、事件発生から約半年の期間があれば部分的な修正は可能だった(可能か不可能かでいったら不可能ではなかった)のではないかと私は想定しました。

もちろんこれは素人の浅知恵であるため、実務的に全く不可能なことを主張しているというのであれば、その点はお詫びします。

マンガ制作を軽く見ている、ということでは決してないです。

それとは別に「このシーンは作品にとって必要だから、実在事件を想起させるとしても変更せずに描くんだ」というのも一つの判断ですし、作者のその判断自体は尊重されるべきものだと思います。(この点も、ツイート内でもっと強調しておくべきでした)

実在事件への配慮を言い出すと交通事故も殺人事件も描けなくなる?

「交通事故や殺人事件は毎日どこかで起こっているのだから、実在事件への配慮を言い出すと何も描けなくなる」という意見も寄せられました。

それも一理あると思いますが、あくまでもケースバイケースで、今回のケースはだいぶ状況が違うと考えています。

当時、木村花さんの事件は社会問題となり、広く報道されていました。私自身も原作を読んでテラスハウス事件を否応なしに想像しましたし、当時のジャンププラスのコメント等でもテラスハウス事件について多数言及されている様子が確認できます。

もちろんフィクションなので、細部は違うにしても「恋愛リアリティーショー」「炎上」「自殺(未遂)」というキーワードは当時の読者にはテラスハウス事件を想起させるには十分なものでした。

リアリティーショーでの自殺事例は他にもあるという意見もありますが、どちらにしても現実と強くリンクする内容かつ、自殺未遂というセンシティブな表現を取り扱ううえで、多少の配慮はあってもよかったと思います。

実在事件への配慮は創作の現場ではありえないことなのか?

実在事件への配慮という実例では、例えば3.11後に津波や地震を扱う作品が自粛されたり、海難事故が起こった直後に事故を連想させるテレビドラマが放送休止になったり、そういうことは実際の対応としてありえます。

これはテレビ放送の影響力を考えて、遺族等に配慮したものだと考えられます。(この対応自体への賛否もあるでしょうが、そこはいったん置いておきます)

また、映画の話になりますが、新海誠監督が『すずめの戸締り』を制作するにあたっての震災被害者・遺族への配慮・葛藤と、それでも震災を描くと決めた覚悟をインタビューで話されています。

創作の現場では、こういった葛藤があるのは必然で、創作者はそこに対して真摯に向き合ったうえで、作品を世に送り出しているものと思います。

上に挙げた事例は制作側の自主配慮であるため、全てのケースに当てはめられるとは思いません。
が、こういった事例を鑑みるに、実在事件への何らかの配慮が必ずしも過剰な要求だとは言えないと思います。

制作側の責任とは何か?

ここまで、私は制作側の「配慮」や「責任」について言及してきました。そもそも表現を世に問うということは一定の「責任」を伴うと私は考えています。

ここでいう責任というのは「果たすべき務め」のことです。例を挙げるとしたら、「子供を生んだ以上は成人するまで育てあげる責任がある」という場合の「責任」です。

具体的には、表現によって作者の意図しないところでネガティブな影響が発生した場合、何らかの対応や、配慮をすることは制作側の「責任」の一端であると考えています。

ここでいう「対応」や「配慮」の形にはさまざまなことが想定されます。今回の件でいえば、アニメの放映前にテロップでただし書きをいれるとか、遺族から意見が出た時点で制作側(アニメ制作会社や集英社)が早めに公式コメントを発表するとか、そういったことも配慮のひとつです。

なお、これすらも「過剰要求だ!配慮なんか一切する必要はない!」と反論されるであろうことは把握しています。表現の自由を強く主張する方の中には、作者側に何らかの責任や配慮を求めること自体に激しい拒否反応を示す方がいます。

それも一つの意見ではあるでしょうが、私はこの主張には賛同できません。
表現の自由は担保されるべきである一方で、現実社会との折り合いは必要だと考えるからです。

木村響子さんが作品を「燃やそう」とした責任はないのか?

木村響子さんのツイートについて、言葉選びにまったく問題がなかったとは私も思いません。細かい事実確認の前に、感情的に書いてしまったことは事実でしょう。

また、命日近辺の放送になってしまったことについては不幸な偶然だと私も考えています。

ですが、木村響子さんが経験されたつらい体験のことを思うと、私はとても批判する気にはなれません。

そもそも、木村響子さんは作品批判はしていますが、作品の放送中止までは求めていません。あくまでも説明を求めていただけです。そういう意味では作品を燃やそうとしたとまでは言えません。

あまり制作側を批判したくはないのですが、この時点で早めに制作側(この場合は集英社やアニメ制作会社)が動いていれば(木村響子さんに直接コンタクトを取っていれば)早期解決もありえたのではないかと思います。

また、ファンの側も「自制して冷静に事態の推移を見守る」くらいのアクションはできたはずです。

「表現の自由への侵害だ!クレームは断固として無視するべきだ!」という考えは、本件にはあてはめられないと考えます。

もしも、制作側までもが本件を単なるクレームとしてとらえていて、対応する必要はないという判断なのであれば、それはとても悲しいことです。

炎上当事者となってみて

私の意見は以上です。最初に書いたとおり、意図に反して作品叩きととらえられてしまったことは私の落ち度です。また、私の意見がすべて正しいとは思いませんし、Twitterで声を挙げた以上、多少の反論は想定していました。

ですが、現在私に寄せられているツイートは目に余るものがあります。

いちいち引用はしませんが、「バカ」だの「無能」だの「謝罪しろ」だの、「ファンを装って作品をたたきたいだけ」だの「嘘つき」だの「ギリ幼卒」だの…はっきり言ってひどい言われようです。(興味がある方は元ツイートのリプ欄と引用RTを見てみてください)

私の書き方にも問題はあったとしても、別にそこまで無茶な主張はしてないつもりです。そもそもは遺族への誹謗中傷の制止を呼びかける趣旨のツイートです。

寄せられている反論のほとんどは見解の相違というべきものであり、ここまでボロクソに言われる筋合いはありません。ひとつひとつに反論はしませんが、私だって当然傷ついているし、怒っています。そして誹謗中傷を止めようという趣旨のツイートに対し、これほどまでの苛烈な反応が寄せられることに絶望もしています。

もちろん、私の文章や元ツイートに対する反論や批判自体は自由ですし、私も可能な限り受け止めるべきだとも思っています。これもまた、表現の自由と責任の範囲内だからです。ですが、人格否定や侮辱はやめてください。

そして、繰り返しになりますが、遺族の方への誹謗中傷は絶対にやめてください。さらに、亡くなられた木村花さんへの侮辱ととれる表現も私のもとに届いています。これも、絶対に止めてください。

私は木村花さんとは直接的に何のかかわりもありませんが、それでも、とても悲しい気持ちになりました。ご遺族の感情を思うと、言葉もありません。

最後に

最後にお願いです。『推しの子』が描いたメッセージをもう一度思い返してください。あなたにとってはただの1ツイートであっても、それが大量に押し寄せることは人一人の命を奪う暴力になりえます。それはまさに作中で描かれた「何の気無しな独り言が人を殺す」状況そのものです。

作者である赤坂先生と横槍先生にとっても、今の状況は本意ではないはずです。

作者や作品を守りたいというその気持ちや思いやりを、ほんの少しでいいから他人に分けてあげることはできないでしょうか?

また、もしも『推しの子』制作側の方がこの文章をご覧になっていたら、ぜひ事態の収集に向けて動いていただくよう強くお願いしたいです。

私の主張に少しでも共感してもらえたら、このnoteをシェアしていただけると、とても励みになります。

よろしくお願いします。



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