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フータの炎


 コオロギや鈴虫のリーンリンという声がよく聞こえる日だった。夕ごはんのあと、大介(だいすけ)が部屋で夏休みの宿題をしていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「ご先祖様をお迎えしよう」

 ドアの向こうでおばあちゃんが手まねきしている。

 庭に出ると、お母さんが積みあげたおがらの下の丸めた新聞紙に火をつけるところだった。

「こうやって迎え火をたくのはね、ご先祖様、お帰りになるところはこちらですよっていう目印なんだよ」

 ゆらゆらとゆれる小さな炎をながめながらお父さんが言った。大介は顔も見たことのないご先祖様といっしょに、半年前に亡くなった犬のフータのことを思った。

火のはぜる音によく耳をすませようと目を閉じると、まぶたのうらに赤い光がちらちらしているのに気づいた。その光はだんだん形がはっきりしてきて、大介の手のなかにある小さな火だということがわかった。ふしぎなことに、火種になりそうなものもないのにその火は大介の手のなかにちょこんとうかんでいるのだった。

「やあ、大介。ひさしぶり」

 ふいに聞きなれない声がした。大介が顔を上げると、そこにはフータのすがたがあった。白い毛に茶色のまだらもようがあって、たれさがった長い耳とやわらかそうなふさふさのしっぽ。何度も思い描いた姿だった。

「フータ、しゃべれるんだ」

 言いたいことはいろいろあったのに、勢いよく口から飛び出たのはそんな言葉だった。

「そうなんだよ。生きていたころとはすこしちがうみたいでね、やっと大介と話すことができるよ」

 フータはゆるやかにしっぽをふった。それからとことこ近づいてくると、しめった鼻先を大介のふともものあたりにひっつけた。

むかし、フータが大介に甘えるときによくやるしぐさだった。

 大介は手のひらの炎がどこにもふれないようにしながら、うでのなかでフータをそっとかかえこんだ。さらさらの毛がほほに当たると気持ちよかった。

 ずっとこうしていたい、大介はふいにそう思った。

「もうそろそろ行かなくちゃ」

 フータが大介の肩によせていた顔を上げてそう言った。大介の胸のあたりがきゅうとしぼんだ。

 どこに行こうっていうんだろう、ずっとこのままここにいたらいいのに。そうしたら毎晩のようにフータをさがして家中さがしまわる夢なんて見なくなるだろうに

 そのしゅんかん、大介の手のなかの小さな火がゴォォォとうなりをあげて、巨大な炎になった。炎はあっというまにフータをのみこんでしまった。大介はけんめいに炎に手をのばそうとするけれど、ますます火のいきおいは強くなるばかりだった。

「心配しなくてもだいじょうぶだよ」

 炎のなかから声がした。しだいにしゅるしゅると火の勢いが弱くなり、やがてフータのすがたがあらわれた。しかし、さきほどとはすこしようすがちがう。

 フータはからだぜんたいに炎をまとっていた。まるでライオンのたてがみのようで、フータがなんだかべつの生き物のように思えた。

「さあ大介、背中に乗って」

 言われるままにフータの背にまたがった。フータのからだの炎はほんのりとあたたかかった。

 大介が背中に乗ったのを確認するやいなや、フータはいきおいよくかけだした。あまりに早いので大介は目をとじていたが、フータにうながされてそうっと目をうすくあけてみた。真下にぽつぽつとした電灯のあかりと、黒い屋根がどこまでもならんでいるのがわかる。上をむくと、星のかがやきがいつもより近く感じた。ふたりは今、空を飛んでいるのだ。地上の人たちからは、フータのことは彗星(すいせい)のように見えるにちがいないと大介は思った。

 フータは少し地面に近づいた。

「大介、あそこにある公園わかる?」

 フータの背中から身を乗り出すと、家々のすきまにちょこんとおさまったような小さな公園が見えた。

「ああ、むかしよく散歩で行ったね」

「そうそう、お母さんとけんかすると大介はいっつもぼくをあそこに連れて行ったよね」

 大介は顔が熱くなるのが分かった。たしかに、なにか気に入らないことがあったときはフータの散歩を口実に、よくあの公園で時間をつぶしていたのだった。

 しばらくしてフータはからだを下に向けた。

「今から降りるよ。気をつけて」

 大介はふりおとされないように、しっかりとフータのからだにしがみついた。からだをつらぬいていくようなものすごい風で、大介は目を開けていられなかった。

 ふいにぱしゅんっと火花が飛び散るような音がした。

 

 はっとわれに返ると、お母さんが消えかかった迎え火に新聞紙を追加しているところだった。あっけにとられて見ていると、ふいに頭のなかに声がひびいた。

『たましいはね、めじるしさえあればいつだって迷わず、会いたいだれかのところへ飛んでいけるんだ』

 まちがいなくフータの声だった。大介は、ふたたび勢いを増した炎がいつまでも消えないように祈りながら、立ち上っていくけむりの先を追いかけた。

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