6. ディジュリドゥの歴史2 - ディジュリドゥとシロアリ 後編
クイーンズランド州北部のディジュリドゥの伝播
クイーンズランド州のケープヨークもこのシロアリのVery Highに入っているものの、このエリアはパプアニューギニアに続くTorres海峡諸島の文化の影響が強く、オーストラリア本土のアボリジナルとしては珍しい「Poi」と呼ばれる片面ドラム、「Urlur」と呼ばれる植物の種をガチャガチャと鳴らす楽器が使われます。他の地域にはない打楽器が存在することでディジュリドゥが淘汰されたとも言われています(歴史的資料がないため正確性がありません)。
近年にディジュリドゥが伝播した地域とディジュリドゥの歴史が長い地域
Daly Riverエリアよりさらに西に位置する西オーストラリア州のKimberleyには、Daly Riverのダンスソングの一つWanggaが1900年代に広まったと言われています。クイーンズランド州のMornington Islandも1900年代にディジュリドゥが伝わったと言われています。
そしてDavid Hudsonに代表されるクイーンズランド州のアボリジナルDjabugay(Tjapukay)の人々も近年になって自分たちの演奏のパフォーマンスにディジュリドゥを取り入れるなど、新しいディジュリドゥの伝播も生まれています。
このようにKimberleyやクイーンズランド州など近年にディジュリドゥが伝播した地域をのぞけば、1900年代初頭までに伝統的にディジュリドゥが演奏されてきたエリアはオーストラリアの北部のごく限られた地域であることがわかります。
現在でも割礼や葬儀といった儀式の中で積極的にディジュリドゥが演奏されているのは東はNumbulwar周辺、西はWadeye周辺あたりまでと考えられます。それを地図に当てはめると南緯14~15度より以北が伝統的にディジュリドゥが演奏されるエリアだと考えられます。
また、ディジュリドゥがシロアリが食べて空洞になったユーカリの木から作られるという性質上、シロアリの生息エリアとディジュリドゥが伝播した領域が重なってくるということも、その関係性上とても興味深い。
トップエンドには島嶼部や道路が敷設されていない広大なエリアがあり、アクセスそのものが難しく、歴史的にあまり研究がおよばなかった地域が多数あると考えられます。それらの地域ではディジュリドゥに関する歴史的推移はあまり知られていません。ここでの説明はあくまで自分が手にした研究者たちの資料をもとに、シロアリの危険度地図を組み合わせた見解になっています。
それでも、1900年代初頭までの竹とディジュリドゥの伝播、1900年代以降のシロアリの生息エリアとディジュリドゥが演奏される地域の限界という関係性はたしかに存在するように見えます。
石器中心のハンドツールが鉄製品に変わり、移動手段に車が使われるようになり、電動工具が登場するなど。時代と共にアボリジナルをとりまく環境変化と共に、竹から木へとディジュリドゥの素材に変化が起き、伝播領域に影響を与えていると思われます。
それが1990年代以降にぼくたちバランダ(ノンアボリジナル)にまでディジュリドゥが伝わり現在にいたるということは、このようなトップエンドで起ったダイナミックで変化に富んだディジュリドゥの伝播の歴史の最果てにぼくらがいるんだなという気持ちにさせます。
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