粉々に崩れ落ちるコロンビアの民主的見せ掛け

原文掲載日:2021年5月13日
原文:https://roarmag.org/essays/colombias-democratic-facade-is-crumbling-to-pieces/
著者:ホセ゠アントニオ゠グティエレス゠D

一日限りのゼネストに対する国家の残忍な対応で、コロンビアでは数週間にわたる抗議行動に火が付き、多数の死者が出ている。対話の時は終わりだ。

4月28日は即座にコロンビアの歴史的な日に変わった。この日、幅広い社会運動組織と労働組合の連合が、イバン゠ドゥケ大統領の極右政府が発議した税制改革に対してゼネストを呼び掛けた。政府の無能と国家テロが巧みに交じり合い、一日で終わるはずの抗議行動が、コロンビアの近現代史で最も重大な政治的危機となった。日ごとに新たな死者が出て、抗議者が街路に居続ける新たな理由となった。一般のコロンビア人が日々被っている苦難を分からず、苦しみを悪化させる行動をしているエリート層に対して、抗議者達は抗議戦術と要求を急進化させている。

国家の残忍な対応は、外国から見ている人やコロンビアの中産階級の都会人にとってショックだったかもしれないが、都会周辺地域の人々、特に田舎にいる人々にとってはお馴染みである。また、コロンビアの田舎ではお決まりとなっている「マヌ゠ミリタリ(軍の手)」を通じた支配が、現在、都市でも見られている。この種の対応は、本来的に、エリート層と軍のイデオロギーに深く関わっている。このイデオロギーは、暴動鎮圧型でファシズム傾向の教義に根差し、自国の市民を服従させ抑圧すべき敵と見なしている。

人々は完全に絶望して街路に殺到している。他にすべきことがほとんどないのだ。パンデミックのピークに人々が街頭で抗議を行うと決めた。これは、この国が現在陥っている深刻な不全感を示している。

暴力パンデミックの中の税制改革

この税制改革は、はっきりと、社会の極貧セクターを標的にしていた。基本的消費財や公共サービス、葬式にすら付加価値税を拡大する計画だった。コロンビアで新型コロナウイルス関連死がピークを迎えている時でもあり、この発議は邪悪に感じられた。この改革には、所得税を1カ月250万コロンビアペソ(600米ドルを少し超える額)の所得層に拡大する計画もあった。だが、この人口層は既にパンデミックが引き起こした経済危機に多大な影響を受けていたのである。

コロンビアに安楽な時代はなかった。世界で最も不平等な国の一つであり、ラテンアメリカでは最も不平等である。土地所有権の分布も世界最悪である。昨年だけで、360万のコロンビア人が貧困線を下回るようになった(これは、人口の42%に当たる)。その一方で、失業率は15%で、インフォーマルセクターは極度に多く、インフォーマルに雇用されている人々の50%以上が生きるためだけに日雇い労働をしている。もちろん、パンデミック・ソーシャルディスタンシング・ロックダウンは、こうしたインフォーマル労働者に過度な影響を与えている。都市の庶民が住む地区では、家族が空腹だと示す赤い垂れ幕が何千と吊るされていた。

さらに、最貧のコロンビア人には暴力が日常茶飯事である。数百万人が田舎での抗争から逃げ、大都市の貧窮地帯で国内難民となっている。コカ栽培からわずかばかりの収入を手に入れることができた人々も、米国の圧力下--トランプ前政権「と」バイデン現政権双方による--で大規模な燻蒸消毒と軍事作戦という新たな脅威に直面している。これによって、家族を養うあらゆる手段が取り上げられてしまうのだ。

社会運動指導者と解散したゲリラの情況は言うまでもない。何十年も正真正銘の組織的撲滅プロセスの標的になっていたが、ドゥケ政権下で明らかに深刻になっている。

それにも拘わらず、政府は戦闘機を40億米ドルで購入すると発表した。コロンビアは、ブラジルと共に、ラテンアメリカで最も軍事費が高い国で、年間100億米ドルという圧倒的な支出をしている。一方で、教育と保健衛生は非常に貧弱で、多数の国民が毎晩空腹のまま就寝し、新型コロナウイルス危機による死亡者数は増加し続けている。

民衆が再びデモ行進

重要な問題の一つは、コロンビアの支配エリートが一般市民の生活をどれほど分かっていないのかということである。これは、税制改革の首謀者アルベルト゠カラスキジャ前財務大臣が、1ダースの卵は1800コロンビアペソだと断言した時に明らかになった。実際の額は、まさしくその1/5だったのだ!大部分のコロンビア人が毎日1円1円数えている生活費を分かっていないなど、我慢の限界だった。だから、労働組合運動が主導する幅広い連合「全国ストライキ委員会」が、4月28日に新たな抗議行動を呼び掛けると、数百万人がこの呼び掛けに応じ、街頭になだれ込んだのである。

2019年11月の21N抗議行動は主要都市に集中していたが、今回の抗議行動は、主要な都会の密集地から小さな町・村落・片田舎まで、コロンビア全土で行われた。こうした抗議行動は一様に示している。危機の背後で寡頭政治は富を蓄積し、民衆は不満と怒りを蓄積しているのだ。新型コロナウイルス危機中に寡頭政治が享受していた束の間の小休止は終わった。昨年10月に行われた一連の大規模抗議行動以来増大し続けていた緊張状態が4月28日に一気に爆発した。

姿を見せた全ての抗議者達を団結させた要素は、税制改革への反対だった。これは、誰にとっても分かりやすいスローガンだった。しかし、それぞれのグループは、政府に対してそれぞれ独自の不満があった。医療従事者は未払い賃金を要求した。労働者は年金制度改革を拒否した。先住民は500年にわたる弾圧に抗議した。あらゆる職業の人々が社会運動指導者の組織殺人を非難した。コカ栽培農民は、グリホサート燻蒸消毒の再開計画と自分達の地域の軍事化に異議を唱えた。

弾圧が裏目に

コロンビアの抗議行動で優れている点は、致命的な国家暴力に直面した時の民衆の勇敢さだけでなく、民衆が普段示している高水準の自制である。莫大な構造的・象徴的・物理的暴力に直面しても、支配階級があからさまに賄賂で買収されても、自分達が必要最低限の生活を続けていても、コロンビア人には抗議行動を平和的に行う力強い伝統がある。28A抗議行動も例外ではなかった。

しかし、この抗議行動は獰猛な武力行使を受けた。だが、今回、民衆はもううんざりしていた。そして、弾圧は裏目に出た。一日限定の抗議行動を全国的な闘争に転じさせたのは警察の弾圧だった。この闘争は、過去2週間猛威を振るい続けている。当局者の辞任と殺人的なコロンビア指導部の政治裁判にまで抗議者の要求を拡大させたのも警察の弾圧だった。政府は、発議していた税制改革を5月2日に取り下げ、カラスキジャ財務大臣は翌日辞任した。しかし、抗議行動はなおも断固として行われている。

現在まで、約50人が殺害され、逮捕者・負傷者は数千人に上る。警官によるレイプと拷問も多数告発されている。抗議行動の状況下で行方不明者は500人近い。コロンビア最大都市の一つ、カリでは、ほぼ2週間にわたり権力は軍の手中にある。文民当局は即座に免職され、街路には戦車が配備され、空にはブラックホーク゠ヘリコプターが飛んでいる。貧困地区で非武装のデモ参加者に対する作戦を支援するためだ。

つい最近の5月9日、カリの先住民が、民間人の集団に軍由来のアサルトライフルで襲撃された。この都市に大量の軍隊が配備され、襲撃の加害者を特定できるほど数多くのビデオ機器があるのに、まだ何も分からないままである。

この襲撃は、国家のテロ行為を意味している。偶発的事件の集合ではない。それは長きにわたる弾圧の伝統の一部である。国軍を洗脳している「国家安全保障ドクトリン」が強化している国家の暴動鎮圧機構、そして支配エリートの極度に反動的なメンタリティに深く関わっている。

この暴力は当たり前になっているだけでなく、道義的に正しいと見なされている。イバン゠ドゥケの師、アルバロ゠ウリベ元大統領は、ツイッターで警察の暴力を明確な言葉で賛美していた(このメッセージは彼のツイッターアカウントから削除されている)。「テロリストの犯罪的破壊行為から自分の誠実さを守り、民衆と財産を守るために、兵士と警官が拳銃を使う権利を支持しよう。」

もう一つ歪みがある。ウリベは、チリ人のネオナチで、コロンビアの軍事顧問・教祖的存在になったアレクシス゠ロペスが作った概念に言及していた。ロペスは今年コロンビアの陸軍士官学校で2回カンファレンスを行うよう依頼されている。この概念、いわゆる「分子消失革命 」は、「国家安全保障ドクトリン」とガタリ・フーコー・デリダの曲解とを掛け合わせ、次のように述べている。あらゆる抗議行動は基本的に体制転覆の危険があるため、全面的革命にならないよう当初の段階から暴力的に対処し、阻止しなければならない。

この--間違いなくファシズムの--教義は、コロンビア国防軍で評判が良い。当然、暴力・拷問・行方不明・暗殺部隊といったあらゆる犯罪行為と<結びついている>。ブラジルのボルソナーロとは異なり、コロンビアのエリート層はファシズムの傾向を隠していない。いわゆる国際社会はこれを軽視し、28Aの丁度一週間前にはこれを容認しかけていた。このように話し、行動し、しかもEUから立派なパートナーだと見なされるような政治的人物が世界で他にいるとは想像し難い。

対話には遅すぎる

コロンビアの民主的見掛けは、瓦解し始めている。極右・公然たるファシスト派閥が率いる、南米大陸で最も反動的で人種差別的な寡頭政治で作られた暴動鎮圧国家の醜悪な顔が、誰の目にも明らかになっている。私達は以前コロンビア政治のファシズム化プロセスについて警告したが、それは隠喩的な意味で述べたのではなかった。軍内部にナチスの教義が実際に存在することは、これがもっと大きくもっと危険な事態の一部だと裏付けている。

こうしたプロセスと対決できるのは、それに対抗して一貫して結集できる組織的勢力しかない。つまり、ファシズムの限界は--プーランザスが述べていたように--民衆の結集と組織を通じて階級闘争がファシズムに課すことのできる限界だけなのだ。民衆はそれを感じている。だから、この結集行動は、もはや改革にも、一人の大臣の辞任にも関わっていないのである。

チリでの抗議行動同様、結集行動は、腐りきったシステムを能動的に解体しつつ、新しい政治的主題を出現させるメカニズムになっている。政治家の中には、抗議者と政府との一種の対話を働きかけようとしている人達もいるが、今回は話すことなど何もない。40人が死んでいるのだ。ドゥケとの対話には遅すぎる。民衆は彼等を権力の座から叩き出し、その犯罪の責任を取らせようとしているのである。

コロンビア全土で行われているこうした素晴らしい抗議行動は、十年にわたる結集行動の結果である。少しずつ、民衆は権能を手に入れ、参加者も増え、その決意は強くなる一方だった。ハイチの諺にあるように、人民の鉛筆は消せない(人民は間違えない)のだ。

こうした経験が衰えることはない。闘争の只中で、政治を新しく理解する方法、コロンビアを新しく理解する方法が創り出されている。昨年あたりに左翼は選挙同盟の議論に行き詰っていたが、こうした抗議行動は、コロンビアの運命を最終的に決めるのは投票箱ではないと思い出させてくれるのだ。


ホセ゠アントニオ゠グティエレス゠Dは、アイルランドに住むリバータリアン活動家である。彼の著作には『アナキズムの諸問題と可能性』(ポルトガル語、2011年)、『Siempre de Pie, Nunca Rendidos』(レナン゠ベガとの共著、コロンビアのサトウキビ刈入れ作業者の社会史、2019年)、『ラテンアメリカにおけるメーデーのリバータリアン起源』(編者、2010年)がある。また、rebelion.org、prensarural.org、anarkismo.net といったウェブサイトに頻繁に寄稿している。

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