2024/08/19 なんもしていないけども、Uくんからメッセージ

昨日の日記での宣言通り、今日の日記はちょっとポエジーです。
なぜなら、一生の不覚。何の気なしに過ごしてしまったからだ。ひとまず今日やったことを書いていく。

昨晩は変な時間に眠ったから、10時ころに目が覚めた。目が覚めて、今日はこれと言って予定を入れていないから、ワイドショーチェックの続きでもやっていこうかしらとなる。
その間に米を炊いて、カレーを食べる。ワイドショーは面白いなあと思いながら、カレーを食べる。カレーを食べ終わって、12時を過ぎたくらいだったろうか。とてつもなく眠たくなってきてしまった。恥ずかしながらぐうっと眠っていた。おしっこがしたくなり、13時前に少し起きる。おしっこをして、さあて起きようかと思ったが、また眠たくなってきた。起きたら15時だった。まいったぜ。昼寝をするなんてお恥ずかしい限りである。
起きてから、うだうだとしてなんだかんだ18時くらいからウーバーをちょっとやった。さすがに何もしていないというのは自分のことが嫌になってしまうから、罪滅ぼしのウーバーをやった。

ウーバーで4件運んで19時になった。ちょうど家の近くだし、終わって明日に備えようかなと考える。すると、なんだか高額のオファーがちょっとずつ来るようになった。平日の夜でこれは妙である。
そこにふと冷たい空気が流れて来た。直感した。これは嵐が来るぞ。今日は雨ボーナスが発生していないのに雨の中で運ぶのは損であるし、これくらいで終わることにする。

帰宅してから大雨が降り始めた間一髪のところであった。その後、食事をしながら様子をうかがっているとどうやら、今日は大雨が降ったのに雨ボーナスが無い。そのうえ、多くのウーバードライバーのアカウントで不具合が発生し、配達したくてもできない人が多かったようだ。そのせいで一件で数千円という高報酬がいただけていたようだ。くぅ~。やっていても良かったかなあと思う。
でもいいや。僕はこう見えてもお笑いである。体が資本だから、無理に走って風邪でもひいたらことである。ここでの判断は間違いで無かったということにしておく。

その後、眠ることなくネタを書いたりして、現在8/20の6:50になった。20日に広島でライブに呼んでいただいたから移動の新幹線の中である。私は意外と環境が変わると眠れないタイプなので、眠いのに眠れないという状況。仕事仕事仕事。

では最後にちょっと思い出話をして終わります。
今日は私の大好きな「東京ポッド許可局」というラジオ番組を聞いていた。街中でサインを求められたらどうするか、というテーマで話していた。こういう人にはサインをする。こういった場面では申し訳ないという気持ちもありながら断る。といった話をしていた。
これを聞いていて思い出したのは、横浜や巨人で活躍したクルーン投手。そしてクルーン投手にサインを求めたUくんという友達の話だ。

Uくんとは小学生の時は毎日のように放課後に野球をやっていた。Uくんとはその後、中学校の野球部でも一緒だった。
小学生のとき、当時まだ広島東洋カープは広島市民球場を本拠地としていた。市民球場は小学生の外野自由席は700円で入場できた。激安すぎる。
それで、放課後草野球をやっているメンバーでも、親に小遣いをもらって見に行っていた。18時から試合開始なら、16:30くらいには席に座って打撃練習なんかを見る。打撃練習が終わると、選手たちは各々ストレッチなんかをして過ごす。
外野フェンスの前あたりにクルーン選手がやってきた。サインを書くサービス精神を見せてくださっていた。当時、横浜の選手なんかほぼ興味が無かったが、なんとなくプロ野球選手のサインがもらえるなら嬉しいからワーワーと大騒ぎの中に入っていった。

私は当時の野球好きの小学生の多くが持っていた、キッズカープ手帳にサインをもらった。キッズカープは年に1000円か2000円くらい払うと、外野自由席にいつでも無料で入れて、応援グッズなんかも貰える恐ろしい安さのサービスだ。入場のときにパスポートのように見せることで入れるのがキッズカープ手帳だ。それにクルーン選手のサインをもらう。
そのとき一緒にいたUくんはプロ野球カードにクルーン選手のサインを貰おうとカードを持った手を伸ばす。そのカードをとうとうクルーン選手が手に取る。おお、サイン付きのプロ野球カードなんてかなりのレアだな。そう思ったとき。クルーン選手は言った。

「oh! Kinjoh~」そう言ってカードをUくんの手に戻した。Uくんはとりあえず横浜の選手のカードならよかろうと、ガニ股打法でおなじみの金城選手のカードを渡していたのだ。Uくん何やっとんねん!と思った。あまりのことに驚いて私はUくんの顔を見ることも忘れていた。どんな顔をしていたのだろう。

そんな話である。そんなUくんのことを「サイン」というワードから思い出した。そんな間の抜けたことをするUくんだが、勉強はとても得意で、いい学校に進学して、いい仕事に就いた。彼の仕事は国防だった。自衛隊の中で数人しか行えない、とても危険だが、認められた人しかできない訓練をしていた。しかしその訓練中の事故で亡くなった。数年前の話である。
ちょうどお盆が終わって、世間はまた普通の日常に戻っていく。ふとUくんが頭の中に浮かんだのは、彼からの「あっちに戻るよ」というメッセージだったのかもしれない。

いつも通りのバカ話と思いきや、反応に困る話でした。失礼しました。
永六輔さん曰く、人の死は二度ある。肉体の死と、思い出の中に生きている私を誰も思ってくれなくなったとき、これらがあるという。
亡くなった人の話っていうのは、やけにしんみりさせてしまうこともあろうが、やっぱりUくんは変なことをしていたから笑って欲しい。読んでいる方の中にもUくんが生き続けてくれれば、私は嬉しい。

新横浜から名古屋は遠いなあ。書いていてもまだ到着しない。

今日面白いと思ったことは「あの世の人達も忙しかろうがこちらをご覧ですよ。恥の無いように生きましょう。」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。