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私はパンダ

私の職業は女性の割合が少ない。

学生時代に理系コースを選択したときからいびつな男女比には慣れていた。設備的な面で実習のために着替える場所や女性用のトイレについてはもう少し考えて欲しいものだと感じていたけれど、女性だからと差別をしてくる同級生もいなかったからそれなりに問題なくやってこれていた。

大学生のある日、今の私の職業に近い女性の方と話をする機会があった。

その人は昭和の時代に就職したそうで、その当時その職業で女性は1人だったらしい。

その人が言うには、「当時の自分はパンダ」だったらしい。

学生時代の私にはその話にあまり共感を覚えなかったが、今はわかる。

数少ない女性だからと、何かとPRの場で起用される。
やっぱり女性がいると場が和むね、なんて言われる。

集客や場の雰囲気のための仕事をするたびに、「私はパンダ」と思う。

ひどい時にはパンダと触れ合おうとする輩まで出て来る(いわゆるセクハラ)。

こういった仕事のおかげで、他の仕事がもらえたり顔を覚えてもらったりすることはある。
でも、何か仕事の依頼がきた時に、実力を見込まれた仕事なのか、それともパンダになることが目的なのかわからなくなってしまう。

たまに言われることがある。

「この職業で女性は得だね」「女性だからその仕事ができたんだね」「女性だからそれで許されるんだよ」とか。

正直、全て理解できる。他の男性が私と同じことをして怒られても、私は何のお咎めもないことなんて何度もある。

ただ、それを甘受しているわけではない。

私はいつも恐れている。

いつか、パンダの人気はなくなり需要がなくなる。その時になって初めて自分に実力がないことに気づくのかもしれない。

そうならないように、普通の人が受けている評価とパンダの評価を照らし合わせて、パンダは人より甘い評価を受けているはずだからこれではダメだと。


いつまでも愛されるパンダでいることが私の仕事なのか。


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