人生の夏休みが終わる

いつも敬体(です・ます調)で書くのだが、今回のように考えていることをただひたすらに書きなぐる記事は、常体(である調)で書くことにしている。

特段、どちらの方が優れているというわけではない。常体の方が伝わる内容ももちろんあるが、自分の持ち味は敬体で発揮されるとは思っている。ただ、私の場合は敬体で書いているとどうしても「誰かに向かって話している」ようになり、随筆にならない。それに、いつも敬体で書く人は、常体の文章に少なからず憧れたりするものである。

(とはいえ、書きなぐると言いながら、これを読む人のことをつい考えてしまうのはライターのクセかもしれませんね。)

何はともあれ、人生の夏休みが終わる。2019年4月に抑うつ神経症という病気にかかり、途中の1カ月半を除いて半年間、働かずに生きた。ひと月ごとに下される休職延長の診断は、心を軽くもしたし、不安にもさせた。時間が無限にあるようにも感じたが、タイムリミットが迫っているようにも思えた。

結局、復職の見込みが立たず、今度は休職しながら求職活動を行ったが、これまでの転職活動のようにうまくはいかなかった。休職したならば、その旨を書類に書かなくてはいけない。多少の不利は覚悟の上だったが、これがマイナスに働いたことは多くあったと思う。転職先が決まらないまま休職期限を迎え、人生初めて無職として数ヶ月過ごすことになった。

その間、私を生かしてくれたのは公的な援助と他者の助けだった。まず傷病手当金と失業保険。蓄えがまともになかった私は、これらがなかったら、のたれ死ぬとは言わずとも、今の家には住めなかっただろう。

そしてライターの仕事。離職後に友人の伝でいただいた仕事を皮切りに、古巣のデスクや某出版社からも仕事を頂戴した。こちらも「これがなかったら」である。特に出版社からいただいたインタビューという仕事は、私がライターとして一番やりたいことで、本当にうれしかったし、良いクオリティを出せたと思っている。

金銭面のみならず、精神面でも支えてくれた方々も含め、そうして周りに生かしてもらった1年弱だった。心から感謝すると同時に、難しい時期でもあったけれど、得たものも少なくなかったのだ。こうならなければ(私には)分からなかった気持ちがたくさんあって、それを知ることができたのは得難い経験だった。色々な面で、抑うつ神経症になる前と後は人が変わっていると思う。

明日から通う職場では、超ざっくり言えば企業のことをWebでサポートする仕事だ。これは面接でも話したのだけれど、今の私は「クライアント企業で勤める人に、良い暮らしをしてほしい」と思っている。多分、病気になる前なら全然違うことを考えていたと思う。

2学期が始まって、自分のメンタルもどうなるかは正直分からない。大丈夫だろうと思うし、壊れない程度にがんばるつもりだけれど、すべて楽観視できるほど若くもない。ただ、以前と違う自分がもう一度働くことに、少しだけ期待をしてもいるのだ。

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