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縁もゆかりもない道東に移住したある夫婦の未来(ing)

道東に引っ越して来てからはや丸2年が経とうとしています。夫婦で決めた新規就農。そのために移住した美幌町。私達にとって道東は、「愛すべき故郷」や「住みたい場所」ではなく、「やりたいことのための場」でした。

こういう人ってあんまりいないのかもしれないけど、複雑でモヤモヤした気持ちの中、道東に来た一人の未来像として、だれかの参考や背中を押すことになれば嬉しいです。

▲自己紹介(長いので読まなくていいです

縁もゆかりもない道東

2019年の9月、生後3ヶ月の息子を抱え、私は女満別空港を目指す飛行機に乗っていました。生まれ故郷の青森県八戸市が大好きで、将来は青森に貢献したいというのがそれまでの行動規範。しかし、仕事をする中で、農業への興味が膨らみ、また妊娠を機に地方移住を考えるようになっていきました。東北に関するプロジェクトを運営し、成果が出始めた矢先、色々なタイミングが重なり退社。でも行き先は青森ではなく北海道。

「なぜ青森ではなく北海道、しかも美幌町なのか」

自分で決めたのに、いつも自分が納得ができる理由を探していました。

農業という、地域に根を張る仕事。その舞台は縁もゆかりもない道東。

「これからやっていけるのか」

安心した表情ですやすやと眠る腕の中の息子とは反対に、私の心は不安でいっぱいでした。

世界が広がるきっかけ

9月に移住してからは辛い毎日だったように思います。運転免許は持っているけど、ペーパードライバーだし、息子を連れて事故でも起こしたらと思うと、運転の練習をする気にもなりませんでした。知らない土地で友達もおらず、息子と夫、大家さんだけが私の道東のすべてでした。

話が動き始めたのは、1月。美幌町木村町議の交流会がきっかけで、夫が美幌町まちづくり協議会の大西さんに出会い、「ぜひ遊びに来ませんか」と声をかけてもらったことでした。

「自分たちのことよく知ってもらうチャンスだ」と思い、前日急いで以下の資料をつくりました。「自分たちが何ができて、何がしたいのか、知ってもらいたい」それがきっかけで繋がりが生まれると思ったからです。

▲自己紹介では、久々に大きな声を出したような気がします。

こんなことを書いていました(ひさびさ見返した

Banners_and_Alerts_と_210831_自己紹介&アイディア_-_Google_スライド

おそらく協議会のみなさんはこんなの作ってこられてびっくりしたと思います。でも、興味をもっていただけたのか、この資料は、後々町長まで渡っていきました。

その後は、noteに自己紹介ページをつくったりHPをつくったり、とにかくできること、やりたいことを文字にしました。「私はここにいるぞー!」と無言で大声を出していました。

居場所ができていく

その後、すぐになにかが動いたわけではありませんが、「自分がここにいるぞ」と知ってもらえただけで少しだけ、居場所ができたように感じました。そして、ライターや簡単なデザインのお仕事も少しずついただけるようになりました。

フェーズがもう一段変わったのは、2020年11月にえづらファームさんにファームステイしたときでした。

私達の移住を後押ししてくれたのは、道東にえづらファームというロールモデルがあったからです。その江面さん達との出会いをつくってくれたのが、

オホーツクツーリズムマガジン HARUでした。(このVol.1のtopにえづらファームが掲載されています)

このマガジンをつくっているのが、ドット道東の中西拓郎さんでした。お礼も兼ねて、TwitterのDMで連絡し、ずうずうしくもお願いしてみると、なんと美幌町まで来ていただけることになりました。

2021年の初春、中西さんとお話し、私達のことを知ってもらい、またドット道東のビジョン、やってきたこと、やりたいこと等を聞く中で分かったのは、この活動が、観光客向けではなく、「インナーカルチャー、そして、インナープライドの醸成」を目的にしているということであり、

「農業をベースとした諸活動で、地域の自己肯定力(豊かさ)を向上させる」という私たちがやりたいことと共響すると感じました。

(地域には目に見えていない、言葉にできていないだけでたくさんのヒト、モノ、シゼンの魅力があり、それを豊かだと認めて、誇りをもつことからすべてが始まると考えています。このあたりはまたまとまったら。)

この出会いから、ドット道東さんとのお付き合いが始まり、現在、#道東ではたらく の記事を書かせてもらっています。(再考編集室というユニットをつくったのも中西さんがきっかけだったりします)

この出会いは、本当に重要でした。ドット道東さんもまた、私達に「居場所」を与えてくれたからです。

こういった居場所が増えていくにつれ、とても居心地がよくなってくるのです。不思議なことに「なぜ北海道なのか、なぜ美幌なのか」みたいなことも考えてなくなってきました。きっと、誰かに必要とされていて、自分の力が活かせる。この感覚がすごく自己肯定になるんだな。と感じました。

やりたいと言っていい、そしてやっていい場

農業の方でも、農場を「さいこうファーム」と命名し、来年22年度からの営農を目指して様々な準備をしています。機材を買ったり、畑の準備をしたり、共同研究、出荷、直売、農業体験など今年一通りやってみて、次年度からの本格的な計画を立てています。

今年は数十年に1度の大かんばつ。夏には期待していたレタスがまったく採れず、目の前が真っ暗になるときもありましたが、秋に差し掛かり、すこしずつ光が見えて来ました。

それにしても町の人たちは本当にみなさんいい人達だと思います。

いつも「やってみたら?」と背中を押してくれる大家さん(鶏モモ肉の八角煮、いつも楽しみにしています

農業の大先輩であり、家族のような付き合いをしてくれるお隣の安藤さん

いつも前のめりな木村町議、そして、一緒に美幌町を楽しい町にしようと挑戦しているまちづくり協議会の大西さんやタッキー

「既存の農業に縛られずに、色々やっていこう!」と背中を押してくれる農業センターの午来さんに、香土鮮緑の堅田さん

移住者のロールモデルとして、あちこちで紹介してくれたり、様々な取り組みに手をひっぱってくれる役場の中村さん

星を一緒に見に行ったり、いつも優しい円舘夫妻

私達がつくった野菜を美味しく料理してくれるしのさん

どんどん新しい挑戦をして刺激をくれたり、野菜販売の協力をしてくれるらぐぅの野口さん

それに、町にできたたくさんの友達たちに、いつも優しくアドバイスをくれる先輩農家のみなさん

私達がやりたいことの背中をみんなが協力して押してくれるので、いろいろな無謀なことも「やっていいんだ」と思うことができるんだと感じています。

#道東の未来

上記の私達のやってみたいこと。これはもしかしたら道東の未来の1つなのかもしれません。もうすでにやり始めていることもありますが、まだまだたくさんやりたいことがあります。

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▲まだ1/4もできてない!

なんなら、これ以外にも、農業と音楽のイベントもしたいし、アイヌや北方民族の歴史や手仕事についてもまとめていきたい。藍染でオホーツクブルーの服をつくりたい。農民芸術祭をしたい。ピザ窯だってはやくつくりたいし、家のリフォームもして、民泊ができるようにしたい。まだまだあるぞ。

声に出していたら、いつか理想は叶うかな。

おわりに

道東に縁もゆかりも無い私達の理想には、「道東をこんなふうにしたい!」という郷土愛は、まだあまり無いのかもしれません。

でも「私達の居場所をつくってくれる包容力」、そして「やりたいことをのびのびやっていい雰囲気」が、移住してから気がついた、この地域の魅力なんだと感じています。

さて、この投稿は本来であれば8/31に行おうと作っていましたが、色々なトラブルで間に合わず、現在9/2です。「間に合うか!ギリギリヘッドスライディング!」どころか、もう、グラウンドでは別の試合が行われていると思いますが、せっかく書いていたので、供養の意味も兼ねてそっと投稿することにしました。

今後とも皆様何卒よろしくお願いします〜!


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