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思い出す人

昨日の夜から喉が痛くて、職場につく前に慌ててコンビニでのど飴を買った。
職場に着くなり、続けて2個飴を舐めた。デスクの下には個人用のゴミ箱を置いていて、特に今まで不便は感じていなかったのだけれど、プラスチックゴミは共用のゴミ箱まで捨てに行かなければならない。

それが面倒でデスクの上に舐めた空のゴミが2個転がった。

立ち上がる用はしばらくない。

そのままにしておくのも何となく気が引けて、引き出しに入っていた紙で久しぶりに折り紙のゴミ箱を作った。
作り方も忘れているからネットで作り方を検索。それを見ながら作っていて、ふと、亡くなった大叔父と大叔母のことを思い出した。

それは、祖母の妹夫婦だ。
私は単に「おじいちゃん」、「おばあちゃん」と呼んでいた。

開業医だった大叔父。背も高く、いつもサングラスをかけていて、顔だちも相まってまるで外国の人のようだといつも思っていた。大叔母は逆に小柄な人だったけれど、いつも着ている服がちょっと派手で洒落ていて、出前で取ってくれる中華料理は私には珍しいものも並んでいて、こういう生活もあるんだなぁと、わくわくしたものだった。

その家のテーブルの上には必ず、ちらしや新聞紙で作ったゴミ箱があった。
それも私たちが通された部屋だけではなくて、各部屋の机の上に必ず載っているようなありさまだったし、部屋の端にはちらしで折った大小さまざまなゴミ箱のストックが収められていた。

おしゃれな二人とちらしで作られたゴミ箱が何となくアンバランスに思えて、でもそれが二人の慎ましさを表しているようで、子供の頃の私は何となく目を止めていたのだった。

個性的な祖父母のことはしばしば思い出したりするのだけれど、少し縁遠いこの大叔父と大叔母のことは何かの折にふと思い出すくらいで、普段はあまり意識することもなかった。

だからこそ、何も思わずゴミ箱を折り始めて、そこで急にフラッシュバックするみたいに、あの家のテーブルとゴミ箱と目の前に座っていたサングラスの大叔父の顔を思い出して、私はなんだかとてつもなく動揺してしまった。

私が今の職場の採用面接を受けていた頃、実は大叔母はもう意識が混濁していたらしい。その時に、うわごとのように私の名前を何度か呼んでいた、と後で聞いた。今の職場の内定が出たのは、その時大叔母が力を貸してくれていたのではないか、と思っている。

余ったコピー用紙で無造作にゴミ箱を折っていたのに、思い出が芋づる式に溢れてきてしまった。適当に始めたから折り目も斜めになっていてることを後悔しつつ、私は最初は貼る予定のなかったシールをそのゴミ箱に飾った。



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