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【エッセイ】復讐の炎


おれは復讐の炎になっていた。燃えていた。めらめらと。おれが通ったあとには焼け焦げた道ができ、ぺんぺん草一本生えていなかった。

いや、ぺんぺん草は元々生えていなかった。これは比喩だ。言葉の綾だ。あと使ってみたかったんだよね、ぺんぺん草。誰だってそうだろう?

涙は枯れても心は枯れない。

おれは今、とある会合に向かっていた。やつらに会うのは久しぶりだ。十五年ぶりだろうか。極度の出不精で引きこもりのおれがなぜ、出席する気になったかと言うと、そこにやつが現れるからだ。

やつ。おれがフリーランスになると宣言したときに「翻訳なんかじゃ食えない」と笑いながら冷や水を浴びせてきたやつ。当人はどうせ覚えちゃいないだろうが、おれは一瞬たりとも忘れていない。親の仇のように覚えている。はっきりと。

あれから十五年ほどが経った今、おれはこうして翻訳で食っている。訳書も出した。ファミ通にも載った。青色申告だって一人でやれる。もちろんそれなりに紆余曲折はあったが、充実した十五年間を送ってきたと言っていい。

だからそう、器が小さいことは百も承知だが、おれはただやつにもう一度会い、笑いながら、やつの目の前で「翻訳でぶじ食ってます」と言ってやりたかったのだ。それがおれの復讐だから。

久しぶりに会ったやつは、あの頃とまるで変わっていなかった。すると止まっていた時計の針が一気にぐるぐると動き出し、「翻訳なんかで食えない」と吐いたやつの口が、まるで早送り動画のようにドロドロと溶けていった。眼球がぼとりとテーブルの上に落ち、全身がぐずぐずに崩れ落ちて、ゾンビみたいになっている。

他のやつらもゾンビになっていた。耳障りなかすれ声で何か話しかけてくるが、意味がさっぱりわからない。日本語のようであって日本語ではなかった。

それでもおれは一時間ほど、復讐のチャンスを窺いながら、ゾンビたちに愛想笑いを浮かべ、当たり障りのない返答を繰り返していた。が、やがてなんだか居た堪れなくなって、逃げるように会場をあとにした。ゾンビたちは呆然としていた。やつへの復讐も果たせなかった。

違ったのだ。時間軸が。だからあいつらはゾンビみたいに溶け、おれは溶けなかった。今やあの頃と異なる時間軸で生きるおれたちは、言葉の通じない赤の他人と変わらなかった。

なんだか脇腹の辺りがむず痒くて、確かめてみると、一部がゾンビ化して腐っていた。そういうことか。

おれはその腐った肉片をむんずとねじ切り、駅のゴミ箱に投げ捨てた。痛くはない。むしろ体が軽くなった気がした。

気がつけば、復讐の炎は萎んでいた。

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