人生のピークが小学生

小学校までの私は、負け知らずで、下手に勉強も出来て、正直嫌な子供でした。

今回は、そんな私が進学校に入学するまでの華々しい時代を残します。ここが人生のピークでした。

小学校低学年

小学校入学したころから、運動は人並み以上には出来ていたし、勉強もそこそこ出来ていた方だと思います。(たぶん。。)

学校が終わった後は、ピアノや習字、水泳、塾など、毎日何かしらの習い事があって忙しかったけれど、

どんなことでも、やればやるだけ結果が出ることが楽しくて仕方なかったし、結果が出れば親が喜んでくれることが嬉しくて、

友達と遊べないとか、ゲームができないとか、そんなマイナスな気持ちはあまり感じていなかったような気がします。

子供ながらに、自分は他の人よりも出来る子なんだという意識はあったと思います。

小学校高学年

小学校高学年になった頃、中学受験のために塾に通いはじめました。

塾では、毎週テストがあり、そのランキングが常に貼り出されていました。

たいして辛い思いもせずに上位のクラスになれていたし、

毎週毎週テストがあるので、たとえ1回失敗しても来週は頑張ろうと切り替えができて、良い点数、良い順位を取らなきゃいけないというプレッシャーはあまりなく、

"ゲームで良いスコアを取りたい"くらいの感覚で、楽しく勉強に取り組んでいました。(学校の運動会でテストが受けられなかった時は、悲しくて泣いていたほど、テストが楽しかった記憶)

受験が近づいてきても成績は安定していて、塾としても有名校の合格実績が出来ると期待されているような子でした。

そんな期待が正直心地良かったです。

もちろん合格できる気もしていたし、毎日勉強すれば毎日レベルアップしていけることが何よりも楽しかった日々でした。

◆中学受験

いわゆる進学校と呼ばれる学校の他に、地元の私立中学を受験しました。

受験日程としては、1月に地元の私立中学を受け、2月に桜蔭、豊島岡です。いわば地元の中学は肩慣らし兼すべり止めのために受験するだけです。

当時本当に成績の良かった私は、当然のように地元の中学は合格し、特待生にもなれました。(今から考えると、授業料免除ならここにしておけば良かった気もする)

すべり止めも確保し、2月1日に向けて、着々と準備を続ける日々が続きました。今振り返っても、そんなにプレッシャーは感じていなかったように思います。

受験前日は親と近くのホテルに泊まりました。同じホテルに受験生と思われる子が何人かいたので、恐らく前日はホテルに泊まる人が多かったのではと思います。

当日は朝ごはんを食べ、多少緊張しながら受験会場に向かいました。当時のことはあまり覚えていないですが、席が近くになった子と仲良くなり、休憩時間の度におしゃべりしていたことだけは覚えています。

母親からも、受験が終わって出てくるときに、友達と仲良さそうに出てきて(実際は初対面)びっくりしたと言われたのは覚えています。

◆合格発表

結果は無事、桜蔭と豊島岡に合格。

帰りの高速バスに乗りながら、父親と塾の先生に電話し、喜びで泣く母親を横に達成感を味わっていました。

今思えばあの時が一番親孝行が出来ていた時なのではないかと思います。。

とりあえず今回はここまで。次回からは転落していくだけです。読んでくださってありがとうございます。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?