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虐待の連鎖をチョコレートに置き換えて分かりやすく説明してみた

今日はなぜ虐待が連鎖するのかというの考えてみたいと思います。

そもそも虐待と言うのは必ずしも連鎖するものではありません。

ある調査によると、虐待が連鎖するのは全体の3割程度だと結果も上がっています。

いったいなぜ虐待は連鎖することがあるのでしょうか?


一般的には「子どもとの関わり方を自分が体験した方法以外知らない。」

そういったものが理由の1つだと言われています。


でもこうやって説明しても体験のない人にはなかなかその心理は伝わりにくいものです。

と言うわけで、今日はチョコレートを用いてご説明していきましょう。

「なぜチョコレート?」

と感じた方まずは聞いてください。


例えばチョコレートを渡さないことが暴力だとしてください。

話を聞かなかった時に

「もう今日はチョコレートあげない」

なんてことを言ったとします。

当然子どもは泣き叫ぶことと思いますが、
「あげない」という姿勢を一貫して貫いた場合、最終的には

「自分が良くなかったからもらえなかった」とか

「そういうものなんだ」

といったような思いを持つようになっていきます。

幼い子どもだけの話ではありませんが、これが虐待されている環境から抜け出せない1番の理由です。


それでここからが問題なのですが、そうやって虐待を受けていることによって

「ちゃんといけなかったことは反省してきた」

「自分の間違いに気づいた」

みたいな感覚になるわけです。


という事は、罰としてチョコレートもらえなかったことが、なんだか正しいしつけを受けてきたように思えてきてしまうわけですね。

その結果、無意識のうちにそういう考えを持つようになり、自分が親の立場になったときに同じことを繰り返してしまうのです。


また、まだ小さい子どもたちは子ども同士で自分たちの状況を話し合えないと言うのも1つの理由です。

他の子が家でチョコレートをもらっているのかそうでないのかまでを子ども同士で聞くことはありません。

「うちのお父さん怖いんだよ」

とかそういったやりとりはあるかもしれませんが、

「ねえ、家でチョコレートってもらってる?」

なんていった会話は子ども同士では行われません。

「怖いの」みたいな漠然とした事は話せるのですが、具体的になぜ怖いのかなんて事までは難しいところがあります。
 


友だち同士で情報の共有ができるのであれば、

「うちはなんか普通と違うぞ」

なんて気づくのですが、そういったことができない以上はどうしても

「世の中こういうものなんだ」

と捉えてしまいがちです。


逆に子ども側の視点だと

「お前は子どもだからチョコレートもらえないんだぞ」とか言う話をされても、やっぱり「そういうもんなんだ」で終わってしまいます。

そのため、ずっともらえない事は「自分はまだ子どよだから仕方ないんだ」と思って我慢して育っていくわけです。


その結果、自分が大人になってようやく今まで欲しかったチョコレートを手に入れた時。

今度は自分はようやく手に入れたチョコレートをこんな小さな子どもに渡したくはありません。

「渡すべきではない」

「お前も大人になってからチョコレート食べなさい」

「子どもだからもらえなくて当然。我慢しなさい」

そういった考えになってしまうのは、ある意味当然のことかもしれません。

これを暴力に置き換えると、自分がようやく手に入れた安心を人に簡単には渡したくないという意味合いになるのです。


いかがでしょうか?

なかなか虐待や暴力を体験した人でないと細かな心理や心の動きに気づく事はできません。

ところが、こうやって少しおかしな例え方をすることで、いくらか理解してもらえる方も増えると思います。

暴力などの虐待は子どもにとっては悪影響しかありません。

でも世の中は見えないところで虐待を受けている子どもがたくさんいるのも事実です。

虐待の連鎖は約3割程度なので、残りの7割の方はしっかりと自分のされてきたことやこれからの行動を第三者の視点で見直し、自制できているため連鎖されないのだと思います。

そういった方が少しでも多くなるように、この記事が皆に見ていただきたいものです。

虐待はしつけの1つではありません。

悪影響でしかないと言うことを少しでもたくさんの人に知ってもらいたい思いです。


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